夢を膨らませながら歩んだ人生
自分の趣味を侮られたら悲しいではないか。まさに私の親しもうとした「連珠」は、マイナーなゲームと思い込まれていた。18歳のときである。
父(早川美勝=連珠九段)の影響もあって、連珠と本格的に取り組むことになったが、この頃の連珠は極めて低い位置にあり、「五目並べ」と称されて、子供の遊びとしてしかとらえていなかった。これでは親子ともども悲しい。少しでも陽のあたる場所に出してみたい、の思いを徐々に膨らませていくことになる。
私の職業としての目標「税理士」を目指したのもちょうどこの頃である。
昭和39年、細々と続いていた京都連珠会の組織が整備され、機関誌発行の提案がなされたとき、私は自ら編集長に名乗りでた。手作り、コピー刷りの小さな機関誌とはいえ、マイナーなゲームに陽をあてるには、格調のあるものでなければいけない、と考えた。この考えは、連珠会のリーダーは尊敬される人格者となる努力を惜しんではならない、と昇華することになっていく。
やがて、実力のアップとともに京都だけではあきたらず、大阪・名古屋・福岡・東京などに大会を求めて遠征をするようになっていくが、リーダー=人格者の思いが増々強まっていく。それはともかく、若い時だから金はなく、あるのは未知へのあこがれだけであった。東京では知人をたよって寮にもぐり込み、名古屋では電話ボックスで一夜をすごしたこともある。
一方、税理士の方は29歳で合格、開業し、まずは順調に滑り出した。税理士を天職と捉えた私は、連珠界リーダー論との相乗効果もあって、確かな歩みを続けている。「未来会計」「自己活性」を生涯のテーマとして提唱し続けているが、未来を語れる税理士でありたいと願っている。
さて、全日本2位まで昇りつめていた32歳のある日、一大転機を迫られる出来事があった。モスクワ在住のロシア人、ウラジミール・サプロノフさんとの出会いである。
サプロノフさんはモスクワにあって、「ソ連式五目並べ(クレスチキ・ノーリキ)」の大ファンであった。彼は日本のゲームと知るや、ルールを知りたい一心で日本語をマスターしたという驚嘆すべき若者であった。
大阪で催された「建国60周年記念ソ連邦博」に参加していた彼に出会う。彼の要望に応じ指導対局を打つ。この1局が彼に、そして私に、連珠の世界普及というとてつもない夢を描かせることになったのである。たった1局の指導のあと、彼はこう語った。
「連珠は石は動きませんが、ゲームは非常に厳しい。一つ間違ったら名人でもダメです。ソ連でも個人的に五目並べを楽しんでいる人はいます。でも組織をつくってしないと普及しません。モスクワに連珠クラブを設立して、連珠をひろめたいです。連珠は世界に通じるゲームです。」
これをきっかけに、京都とモスクワを結んだ指導対局(手紙による対局)が始まった。1局終わるのに早くて6カ月という気の長い対局である。二人の合言葉は「連珠を世界に!」であった。
ソ連国内における「連珠を打とう!」のキャンペーンは、やがてソ連国内に大きな広がりを見せはじめる。
54年、連珠のルーツを紀元前にまでさかのぼった研究成果を発表したが、この日本の培った歴史的史実が、飛び火していたスウェーデンのトミー・マルテルさんの心を捉える。彼の再三のラブコールを受けて、57年12月、スウェーデンに国際普及の第一歩を印すことになる。以後、毎年の相互交流を経ながら、連珠の国際普及という共通の夢を語りあう心友となっていく。
一方、ソ連国内の広がりは急ピッチで、国際組織結成の要求が日増しに高まってくる。連珠発祥の地であり、国際リーダー性を問われる日本ではあるが、とてもその受け皿はない。3カ国対抗戦(郵便対局)を企画したりして矛先をかえるが、徐々に押さえようがないところまでになっていく。
63年8月、日本・スウェーデン・ソ連の3カ国がストックホルムに会合し、連珠国際連盟(RIF)を結成することになった。世界選手権の開催、機関誌の発行等々を決めたが、オランダを含めたわずか4カ国でのスタートであった。
平成元年8月、第1回連珠世界選手権戦を発祥の地・京都で開催。在日中の方々とはいえ、イギリス・中国・タイなどからも参加を得ることができ、大きな成果をあげる。
平成3年8月、モスクワで第2回連珠世界選手権戦。大会終了1週間後にクーデターが起こるという歴史的体験も味わった。4年10月には、北京・上海(中国)へ国際普及に出かけ、輪が一層広がった感がある。
5年8月のアルイェプログ(スウェーデン)での第3回世界選手権は、何と17カ国、150人もの人が集まった。ロシア人・スウェーデン人らが自作の「連珠は素晴らしいゲームだ」と朗々と歌い上げる光景に、震えるような感動が全身をかけめぐる。いつでも、どこでも、誰とでも楽しめる最も庶民的な連珠が、世界友好の一助になっているのはなんとも楽しいことではないか。さらなる世界普及を目指して、私の夢は果てしなく続いている。
小さな庶民の遊びである「連珠」、しかしこれもまた紛れもないその国の文化である。国際普及で得たものは、日本の文化・歴史・風土を大切にすることこそ、彼らを魅きつけ、また彼らを尊敬でき、真の国際友好に寄与するということである。ややもすれば、これらを忘れ勝ちな日本人。日本の文化・歴史・風土の素晴らしさを自覚したところに日本の国際的存在価値があるのを忘れないでいたいものだ。
“小さな夢も貫き通せば、本当に素晴らしい人生が切り拓かれる” 私の体験を通して若い方々に参考となればこんな幸せはない。