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連珠でじっくり国際交流 ◇複雑・知的な「五目並べ」普及めざす◇

 皆さんは子供のころ「五目並べ」で遊んだことがおありだろう。紙に線を引いて競ってもいいし、盤や黒石、白石はボール紙で簡単につくれる。もちろん、本格的に盤の上で戦ってもよい。「連珠」はこの五目並べを基礎にして、さまざまなルールを設け、複雑で奥深い知的ゲームに完成させたものだ。

ロシアで世界選手権戦

 私が連珠の国際普及を始めて今年で20年たった。この夏にはロシアのサンクトペテルブルグで5回目の連珠世界選手権戦も開催され、私も大会会長として参加した。ロシアで世界選手権戦を開くのは6年前のモスクワ大会以来2回目である。6年前の大会は旧ソ連クーデター事件の1週間前で、街全体が何となく閉塞(へいそく)感に満ちていたことを思い出す。

 今回は欧米を中心に13カ国・地域群から代表選手が集まり、同時に初の女流戦も行った。今年は次々と新手が打たれ、内容的には過去最高の大会であったと言える。 世界選手権戦では日本の長谷川一人名人がエストニアのA・メリティ選手を抑えて「世界一」の座についた。3位、4位にも日本選手が入賞し、“連珠大国”の名を辱めなかったといえよう。さらなる国際発展のためには、まだトップの座を渡してはならないと考えている。

 だが、将来への不安材料は多い。日本選手の年齢層は30-40代が主力なのに対し、各国は20代に主力が集中している。さらに女流戦ではロシアのI・メトレベリさんが1位、N・ヴァシリエバさんが2位になったほか、4位までをすべてロシア代表で独占し、ロシア女流界強しを印象付けた。

 中国の「五子棋(ウー・ツー・チー)」、 スウェーデンの「ルファチャック」、 ロシアの「クレスチキノーリキ」など、原始的な五目並べは世界各国にある。しかし、そのままでは、当然ながら先手(黒番)が絶対有利だ。

 そこで盤面を15路盤に定め、黒番の「三三」「四四」「長連(石が6個並ぶ)」を禁じ手とするなどのルールを決めたのが連珠。そのルールは我々の研究によると18世紀の豪商にあり、明治時代に万朝報社の黒岩涙香がルールを定めて日本全国に広がった。

一手に2時間以上も長考も

 連珠の名人戦にもなると持ち時間は各5時間、一手に2時間以上長考することもままある。一局の手数は平均40?50手だから、一手にかける密度の濃さでは囲碁、将棋を上回るかも知れない。

 私は父の早川美勝が連珠の九段だったこともあり、少年時代から連珠に親しんだ。現在、八段。ただ、囲碁、将棋と違って連珠の職業棋士は現在に至るまで存在しない。私も税理士をする傍ら連珠機関誌の編集長を務めたりしていた。

 国際交流のきっかけとなったのは77年、当時タス通信記者だったウラジミール・サプロノフさんとの指導対局からだった。サプロノフさんはまだ30歳前で、本国のクレスチキノーリキの名手だった。対局後「石は動かないが、局面は常に動いている。非常に厳しいゲームで、一手間違うと名人でもダメです。連珠をぜひソ連で広めたい」と言ってくれた。最初は日ソ間で郵便連珠を始めた。1局終えるのに約半年かかった。その後スウェーデンにも連珠愛好家が現れ、82年に現地を訪れ交換交流を始め、83年には3カ国郵便連珠対抗戦を企画した。

 88年にこの3カ国にオランダを加え、スウェーデンに本部を置く「連珠国際連盟(RIF)」を結成した。私も副会長として毎年各国へ指導の旅に出かけている。欧州、旧ソ連を中心に現在連珠の愛好者は35カ国・地域群に約3万人。チェスの影響からか、チェスの強い国に多い。中国や韓国、フランスでも専門誌が発行されている。

 私が海外での指導で感じるのは、論理的な面に執着を見せることだ。感想戦も納得するまでやめないし、新手をこつこつ一人で研究する。日本の名人戦にも登場する有名な作戦がいくつか編み出されているが、攻撃主体のものが多い。

若手の育成が急務

 一方、日本の少年に教えると、素直で最初はのびるが、新手を求めようという覇気はやや乏しい。ただ、日本にせよ海外にせよ十代で才能が開花しないと世界チャンピオンは難しい。

 国際的に連珠が強いのは日本、ロシア、エストニア、スウェーデンなど、囲碁界は最近中国、韓国勢に苦しめられているようだが、連珠で過去5回の世界戦で4回優勝している日本も実力的には並ばれつつある。手弁当による国際普及もとうに限界を超えており、こちらの方もどう打開していくか。当面は若手の育成が急務だと思う。今のままでは苦戦が予想される来年北京市でのジュニア・アンド・ユース大会に当面の目標を定め、99年同地での第6回世界選手権、2001年に日本で開く第7回世界選手権に万全の体制で臨みたい。

(日本経済新聞「文化」 平成9年11月3日)