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税理士登録「記念寄稿」

税理士 佐藤正志9月1日から税理士として業務に当たらせていただくこととなりましたことをご報告致します。そして、長く温かい目で見守っていただいたクライアントの皆さま、今回の税理士資格取得を全面協力で応援していただいた所長やスタッフに心から感謝申し上げます。
事務所に入所当初より志しております社会への貢献は道半ばではありますが、これを機に皆さまから、より身近な存在かつ信頼いただける税理士として、今後も早川事務所の一員として頑張る所存です。

税理士登録を記念して、平成16年度税制改正で廃止された土地・建物の譲渡所得と他の所得との損益通算の遡及適用が争われた裁判についての私の考察の要旨を掲載させて頂きます。
お目通しいただきご批判いただければ幸いです。
                               税理士 佐藤正志

税理士登録記念寄稿「検討判例」
                               税理士 佐藤正志

・平成20年1月29日福岡地裁判決
・平成20年2月14日東京地裁判決
・平成20年5月16日千葉地裁判決
・平成20年10月21日福岡高裁判決
・平成20年12月4日東京高裁判決

バブル崩壊後の土地価格の下落により、住宅購入や不動産投資による含み損を抱えた個人が、不動産の売却損を他の所得と通算することにより租税負担の軽減を図ることは、長年にわたり認められてきた極めて合理的な経済行為でした。しかし、土地取引の活性化のための土地・住宅税制の確立が要請されていたなか、平成16年の税制改正において、土地・建物等の譲渡所得につき生じた譲渡損失と他の所得との損益通算が廃止されました。この改正法は、平成16年2月3日に国会に法案が提出され、同年3月26日に国会で成立し、同月31日に公布されるとともに同年4月1日に施行されましたが、損益通算の廃止は同年1月1日からの不動産譲渡から適用されることと規定されました。 

この租税法規の遡及適用について、司法判断が分かれています。課税庁は所得税の期間税としての性質と政治的必要性を強調して違憲ではないと主張していますが、適用時期について一般納税者の視点からは、周知期間の確保、あるいは予測可能性を担保して決定されるべきでしょう。租税法の権威である東亜大学金子宏教授も、「過去の事実や取引から生じる納税義務の内容を、納税義務者の不利益に変更する遡及立法は、原則として許されないと解すべきであろう。なお期間税について、年度の途中で納税者に不利益な改正がなされ、年度の始めにさかのぼって適用されることがあるが、それが許されるかどうかは、そのような改正がなされることが、年度開始前に、一般的にしかも十分に予測できたかどうかによると解すべきであろう」と述べられています。

租税法規の遡及適用の問題は、損益通算廃止だけの問題ではありません。今回の遡及適用がそのまま罷り通れば、今後の法律改正の前例になってしまいます。そこで、租税法規と事後法の禁止が貫徹されている刑罰法規との異同を検討しつつ、この損益通算廃止の遡及適用に関して異なる判決を下した三つの地裁判決と、それらの控訴審の判決二つ、合わせて五つの比較検討をしてみました。福岡地裁は違憲判決でしたが、これは福岡高裁で覆され、残りもすべて合憲判決で、大勢は大きく合憲に傾いていると言っていいでしょう。以下、単に「裁判所は」という場合は、その大勢を指しているとご理解下さい。

刑罰法規の場合、「犯罪後の法令によって刑が廃止されたとき」には免訴となり、「犯罪後の法律によって刑の変更があったとき」には軽い方を適用すると定められているので、被告人に不利な変更が適用される可能性はありません。同様に、刑罰法規におけるほど厳格ではないにしても、租税法規についても、納税者に不利益に遡及して適用する立法は、原則として許されないと解されています。しかしながら、遡及適用に関して、刑罰法規は、「刑罰法規不遡及の原則」が憲法にも規定されているのに対し、租税法規については憲法上遡及適用を禁じる明文規定がないため、納税者に不利益な遡及適用が絶対的に禁止されるとはいえないと考えられ、裁判所は、納税者に不利益な遡及適用は、原則として納税者の経済生活における予測可能性や法的安定性を損なうことになるので憲法84条の定める租税法律主義に違反し、違憲であると解しながら、租税法規の不利益遡及について、租税法律主義に照らしても絶対的に許されないという大前提に立つものではなく、諸般の事情を総合的に勘案して、憲法上許容される「例外」の存在も肯定しています。したがって、争点は改正法の遡及適用がその「例外」にあたらず、憲法84条の定める租税法律主義に違反し、違憲であるといえるか否かであり、納税義務の成立時期との関係、納税者の予測可能性、遡及適用の必要性・合理性等の観点から総合的に検討しなければならないことになります。

裁判所は、所得税が期間税であるため納税義務が期間の終了時に成立することを重視し、期間税である性質を遡及適用に該当しない有力な根拠としました。しかし、遡及適用に該当するか否かは、期間税という性質に左右されるものではなく、租税法規不遡及の原則で問題とされる遡及適用にあたるかどうかは、新たに制定された法規が既に成立した納税義務の内容を変更するものかどうかではなく、新たに制定された法律が施行前に行われた行為に適用されるものであるかどうかで決せられるべきです。そして、期間税であろうとも、納税義務は観念的には一つ一つの経済活動により個々に成立するものであり、期間の終了時に一瞬で生じるわけではないはずです。とりわけ譲渡所得という一回性の所得の場合、分離課税とされていることもあって、納税者は譲渡時点における租税法規に従って納税義務が成立すると信頼するのが通常であると考えられ、その信頼を裏切り、期間税というだけで遡及適用すれば納税者の予測可能性や法的安定性が害されることになることは明らかです。したがって、譲渡所得の場合、納税者の予測可能性は、譲渡時に確保されていなければならず、改正法の遡及適用を所得税が期間税であるということを合理的根拠にするには無理があるように思います。福岡高裁もこのことを認め、ただ期間税の場合には遡及によって納税者の予測可能性が害される程度が低いとする妥協的な見方を示しています。

次に、納税者の予測可能性に関して裁判所は、与党の税制改正大綱が公表された平成15年12月18日の時点で予測可能性を担保したことになるとしていますが、適用開始2週間前の税制改正大綱の公表をもって、「一般的にしかも十分に遡及適用されることが予測できた」とはいえません。与党の税制改正大綱に租税法律主義の原則における予測可能性の保障機能を果たすことを期待することも問題であると言えるでしょう。税制改正大綱は与党の案とはいえ、あくまで「案」に過ぎず、新聞紙等の報道をもってその内容が周知されていたからと言って、法律の改正内容が周知されていたとはとてもいえないはずです。新聞等の報道によって図られる納税者への周知は、改正案の内容が税制改正大綱に盛り込まれたことを伝えるものに過ぎず、法律改正自体を明言するものではありません。このことは、たとえば平成20年度税制改正が与野党ねじれ現象の影響により、例年よりも約1ヶ月程度遅れた4月30日に可決成立したように、最近の国会情勢をみれば余りに明らかです。租税法律主義を国会の制定した法律によって課税結果の予測可能性を確保するものと捉えれば、「法律」とは、あくまでも、公布・施行されているものに限るべきであって、法案や答申で予測可能性を確保できるとすることは妥当ではありません。裁判所は、「租税法規に対する個人の予測可能性を完全に満たさなければならないとすれば、そもそも租税法規の改正はできないことになり、租税の機能は不全に陥ることとなる」といいますが、すべての個人の予測可能性を満たそうとするのは現実的ではないにしても、一般の納税者の予測可能性を満たすことは必要であり、それができないというのであるならば、その犠牲を敢えてしてまでも守るべき憲法上の価値が別に存在することが必要ではないかと思います。
ではそのような別の価値があったのでしょうか。課税庁は、遡及適用の必要性・合理性という観点から、平成16年度改正を遡及適用しないと、損益通算を目的とした土地売却が駆け込み的に行われることにより土地市場に不測の影響を及ぼすおそれがあることをあげて遡及立法を正当化しようとしていますが、納税者に予測可能性を与えない形で駆け込みを防ごうとするのは行き過ぎであり、駆け込み期間を短くするように改正法公布後の施行日を早め、施行時期を平成16年4月1日以後とすることで満足すべきです。駆け込み売却の防止は、改正を急ぐことの合理的理由にはなっても、納税者の予測可能性という憲法的価値を犠牲にしてまで遡及適用することの合理的根拠とはならないと思います。遡及立法の必要があるとしても、遡及立法によって損なわれる利益、すなわち、納税者の予測可能性、また法的安定性との比較衡量がやはり要請されるのです。したがって遡及立法による実態的不利益の程度や法改正前情報開示の有無・内容・態様などが十分に考慮されるべきです。改正以前の情報開示が一般の納税者にとって不十分なものであったことは先に考察した通りです。また遡及立法による納税者の不利益については、長期譲渡所得等に対する税率の引下げが行われたことと損益通算廃止の遡及適用とを「一体として考慮すべきである」との説明がされる場合もありますが、両者の適用対象者は同じではないことを考慮すると、この議論も説得力がありません。したがって、平成16年度改正に納税者が譲渡時に前提とした租税負担を覆す効果を持つような遡及適用を正当化するだけの立法目的は見出すことはできません。

以上のことから、平成16年度改正の損益通算の廃止は租税法規の遡及適用であり、さらに、原則違憲である「納税者に不利益な租税法規の遡及適用」を打ち崩す合理性が見当たりません。期間税という観点は、前述のように福岡高裁判決では遡及を許す決定的な理由にはならないとされ、ただ期間税の期間内遡及は納税者の予測可能性を害する程度が低いとされて、それを前提に、遡及適用に合理性があれば違憲とはならないとされています。改正法は、平成15年までに生じていた土地・建物等の値下がりが、平成16年以後に行われた譲渡により損失として実現したという場合にも適用されるので、納税者が改正前に譲渡して損益通算でその損失を多少とも補おうとするのは、自然かつ当然の行動でしょう。それを「駆け込み」として禁止するのが合理的なのでしょうか。東京地裁判決や千葉地裁判決の趣旨から考えると、租税法律主義の原則と例外を逆転させて、納税者に不利益に変更する遡及適用であっても一般的に許容されるものとし、著しく不合理な場合にだけ違憲とする判断をしているようにみえます。租税法律主義の趣旨に照らせば、納税者にとっては、自分の選択する行為の結果についての予測可能性が重要です。刑罰法規での予測可能性は、「行為がいかなる罪となり、罰を科されるかが事前にわからなければならない」ということですが、同様に租税法規の場合は、「納税者がある取引、行為や事実によりいくらの租税負担が必要であるかが事前にわかること」であると考えます。したがって納税者は、譲渡による租税負担を譲渡時に判断できるものでなければならず、損益通算の廃止が予測できたか否かという周知の状況が最も重要だと思います。今回の改正は生活の基本である住宅に関わるものであり、納税者に対し十分周知されている状況ではなかったことを総合すると「著しく不合理でない」程度では遡及適用すべきではありません。このような重要な法改正については、情報開示につき、「納税者に対する十分な周知」という新たな取り組みを実現して貰いたいものです。でなければ、わが国の租税法律主義が根底から揺らいでしまうことになると思います。