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「連珠を世界に!」ロマンの旅 12

スウェーデンから若者がやってきた II
『夕刊フジ』の連載記事から~

本稿は1985年7月、夕刊フジに連載された「連珠異色棋士シリーズ」である。
『夕刊フジ』にこのような連載(週4本)があったことを知っていただくこともまた必要ではないかと思う。

連珠の国際普及に当たっては、連珠界の中だけでワイワイ騒いでいてもまるでダメであろう。どういう目的のために国際普及を目指すのか? またなぜそれが必要なのか?を深いところで認識し、PR活動をも同時に積極的に捉えて活動する必要がある。私は、このことをたえず自分に言い聞かせて活動を続けてきた。報道機関を意識した活動・企画はどうしても欠かすことができない。
また、支援・応援する人は、こういった活動に参加していただくことが無論最大の支援である事はいうまでもないが、投稿などもすごいパワーになることも知っておいていただきたいものである。反面、批判・クレームの投稿は、そのマイナス効果が高いことも…。

今、連珠の国際普及に当たっている方は、これを十分認識していただきたいと思う。ひとつの記事を獲得するのに、10をはるかに超えるエネルギーが使われてきたこともー。

少し脱線してしてしまったが、今回は局譜の解説も含め、一斉のカットなしで転載することにしよう。(なお、棋譜については少し小さいがお許しいただく)

4年目を迎えた日ス国際交流

4年目を迎えた日ス国際交流

「連珠を世界に!」筆者の掲げるテーマであるが、その中心はスウェーデンであり、ソビエトである。2度にわたるスウェーデンへの普及の旅については、本欄に執筆する機会が与えられ、その成果をより充実することができた。

この日ス交流も4年目を迎え、今年はスウェーデンから選手を迎える年である。国際交流が途切れないように願う筆者に、7月訪日の朗報が届いた。中堅どころのヨンソン初段と心境著しいと伝わるパルムグレン2級である。筆者の喜びもひとしおであった。

7月18日、来日。東京での練習対局に臨んだあと、京都にやってきた。
来日の感想をー。
ヨンソン「夢のようです。日本に来てプレーするのが夢でした」

京都に来られたのはー。
ヨンソン「ミスター早川がいるからだ。それと連珠発祥の地であり、美しいシティーだと聞いていたから」

連珠の魅力について。
ヨンソン「連珠は常に努力しないと向上しない。それに友達が出来るのが楽しい。日本ではいろんな選手と対局し、勉強したい」

本局は、福岡からかけつけたA級棋士・小塚七段が胸を貸した1局である。
ヨンソン「白10はあんまり普通じゃない」
小塚「この10は、いま関東で若手を中心に考えられている手でヨンソンさんの構想力を見たものです」

ヨンソン初段の構想力は?

ヨンソン初段の構想力は?

白10(再掲)は、ヨンソン初段の構想力を確かめるために試みた小塚七段の策であった。小塚「黒11から譜のようにヒイたのはよくない。ここは富森案によると15がよさそうということです」

これに対し、ヨンソン初段は局後「白10は普通じゃない」といったあと、さらさらと参考図を並べ「これを打とうかと思ったが、あとの打ち方が分からないのでやめた」といっている。
このことだけでは判断できないが、この後の一連の局をみていくと、自分自身に理解できない策を相手に仕掛ける一方、自らはそれを避けていく打ち方に徹していた、求道者として、正しい姿であると思う。

本局と並んで、ヤン・パルムグレン2級(25)と河村典彦二段(21)の対局が行われているが、まったく静かである。
変わったことといえば、小塚七段の正座に対して、ヨンソン初段の立てひざであろうか。こうしたヨンソン初段も、ときたま正座になって考え込むときがあり、なんとなくユーモラスであった。局後、「私のしんどさより、相手の正座がとても気になってしかたがなかった」とヨンソンさん。

小塚「白16はAか18を考えていたが、一番面白そうなのを選びました」

日本でプレーするのが夢でした

日本でプレーするのが夢でした

小塚七段は、序盤からどんどん考え込んで、26から早くも秒ヨミ開始である。と、これを追うように、27からヨンソン初段の秒ヨミ開始。

ヨンソン初段にとって、おそらく初めての経験であろう。というのは、スウェーデンなどでは、10手10分という延長制がほとんどで、1手1分の秒ヨミ制は、どうやらわが国独特の制度であるようだ。本局はそれを承知のうえで、あえて日本式を採用した次第。彼らは、試合前にきちんと打ち合わせをしておけば、全く不満をとなえる事はなく、小気味よいほどだ。

白26に黒27・29は少し考えすぎではなかったか。30からは白の圧倒である。蛇足ながら、白30はAとヒケば早い勝ちがあった。

白44の四々勝ちに、ヨンソン初段は「うん」とうなづくしぐさ。これに対し小塚七段は「サンキュー」といったあと、盤をみつめたまま数秒。ようやくヨンソン初段が手を出し握手をする。スウェーデン流の終局で、負けた者が相手の勝利をたたえるための握手を求めるのである。

ヨンソン初段…28歳、スウェーデンランクング8位。同国のリーダー、トミー・マルテル三段に連珠を教わり、「日本でプレーするのが夢」になるまで熱中。化学・数学を専攻する学生で、教師になる予定とのこと。82年12月の訪スの折に2級を認定、84年8月の訪スの折に初段を認定と順調に成長している。

連珠日ス親善京都大会より

連珠日ス親善京都大会より

85年7月24日、ヨンソン初段、パルムグレン2級を迎えて「第2回連珠日ス親善連珠京都大会」の開幕である。

平日(水)開催とあって出場者が心配されたが、スウェーデン選手を受け入れる土台が築かれていて、20人がエントリー。ヨンソン初段との1番クジを引き当てたのは、阪神支部期待の柏原四段である。
柏原四段は、今年の第23期名人戦関西地区特別予備選(四段以下)に優勝し、一次予選にコマをすすめて実力者。小学校教諭、26歳。

ヨンソン「必勝法を知りたかったので定石をかけてみました。スウェーデンでは、黒でなかなかかてません。」
柏原「定石戦となったが黒にミスらしいミスはありません。
ヨンソンさんとは、連珠国別対抗戦(日本、スウェーデン、ソビエト)でも打っており、対局がきまったときはうれしかった。」

局面、黒11が要手で、これを反対に止めてAに四三を残すと、白にAと止められて困ってしまう。柏原四段の感想にあるとおり、黒の完勝といってよいだろう。ヨンソンさんにとっては、貴重な1敗となったことと思う。

なお、柏原四段はこのあと、河村典彦二段△ 早川強二段○ 中村行太郎四段○ 小塚和人七段△の3勝2分けとなり、見事に優勝を果たした。
一方のヨンソン初段は、1勝4敗と振るわず、16位に甘んじてしまった。

次回予告
次回は「時代を背負う若者をスウェーデンに!」をかかげて企画した〈100円基金〉による「スウェーデン選手派遣争覇戦」を紹介する。