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「連珠を世界に!」ロマンの旅 20

スンドリング四段来日 日ス親善3番勝負 1987.10

前回に引き続きスウェーデン・チャンピオン、イングラ・スンドリング四段の訪日記を取り上げてみよう。当時の『夕刊フジ』に連載されたものをそのまま転載させていただく。なお、相当なボリュームになるのだけれど、局譜解説部分もカットすると文面が繋がらず、対局者の心理も結構楽しいものがあるので、全文を掲載することにした。

スウェーデンチャンピオン来日

今月2日(1987.10)、スウェーデンを3回訪れている本田正石八段らに迎えられて成田に着いたイングラ・スンドリング四段(33)は筆者宅に直行した。「毎日3時間は盤に向かって棋譜を並べている」というスンドリング四段には、来日中は貴重な修行の時間。「前日まで徹夜で仕事をしていた」(本人談)疲れをものかは、即日、河村典彦七段らにチャレンジしていた。

翌日も河村七段らと対局を重ね、4日の「第3回日ス親善連珠京都大会」に臨んだ。結果は長谷川一人七段と惜しくも引き分けたが、大井耕三四段、小磯重正五段らに快勝、4勝1分けの堂々たる成績を収めた。優勝こそポイント差で長谷川七段に譲ったもののバリバリの打ち手であることを実証してみせた。

さらに、6日には滋賀県近江八幡市の小磯五段宅での早打ち対局(25分打ち切り制。7人参加のリーグ戦)、8日は京都・東山老人福祉センター連珠クラブ訪問、10日は第25期名人戦5番勝負の観戦、泉涌寺少年連珠クラブ訪問と精力的に出掛けた。

“ロングタイム”の対局をというスンドリング四段の希望を入れて、持ち時間90分、新聞掲載を宣言しての対局となった。
白16まで筆者の得意とする力戦となったが、実戦から遠ざかっている筆者の手順が徐々にそっぽを向いていくのに対し、スンドリングの追及は厳しい。

スウェーデンチャンピオン来日

素晴らしい攻防

素晴らしい攻防イングラ・スンドリング四段と会うのはもう4回目になる。昨年、700年祭の歴史を誇るウプサラ市を訪れたとき、喜々として歓待し、対局に臨んでくれたことを痛切に思い出す。すべての日程を終える寸前になって知ったのは、その裏にある壮絶な我々に対する(連珠に対するというべきか)愛であった。

すなわち、このとき彼の父は死の床にあり、大会最終日に亡くなられたのである。それを口に出さず、笑顔で歓待してくれていたのだ。
そのときの身の震えを、いまもしっかり体が覚えている。これが体から抜け出さない限り、筆者は幾度もスウェーデンに渡ることになるだろう。

本局、90分の持ち時間、身を入れての対局。力の連珠を披露しようとする筆者好みの展開になってきた。黒25の好手も、スンドリング四段の応手は確かである。
白38は両者の一致した好点。しかし黒は敢えてこれを打たず、スリルある局面に誘導する。善悪は別にして、安易に黒38のトビ四を打つことだけは避けていただきたいものだ。それが上達の近道であり、連珠の最大の妙味、エキサイトな対局になるのだから…。

白44は好手。これを47ならいかにも平凡で、エキサイトの局面とならない。黒45が妙手。しかし、白46が妙防で、黒は局面打開とまでは至らない。
なおも黒は秘術を尽くして57まで、局面の打開を試みるが…。

スンドリング四段の快勝譜

スンドリング四段の快勝譜白58はAが必勝であった。黒Bに止めて四追いが残るようにみえるが、白のノリ手があって成立しない。ということは、Cの三々勝ちがみえている。

局後このことをスンドリング四段に伝えると、大きな声で「オー、ノー。オー、ノー」と自分のヨミ違いをさかんに悔しがった。「すべての対局に最善をつくしたい」という彼の姿勢の表われであり、素晴らしいことだと思う。成長する方々に筆者が主張しているのが、この態度である。

さらに彼はいう。「スウェーデンで行われる10の連珠大会のすべてをいつの日にか制するだろう。そして誰にも(日本選手にも)負けないプレーヤーになるのが願いである。連珠は単なる趣味ではなく私のもっとも大切なものだ」
既に我々から指導を仰ぐという時代は終わり、たくましいチャレンジャーになっている。
黒63は敗戦を覚悟した防ぎ。以下の白の打ち方には見るべきものが多い。
白78は好手。つづく80も好手であったが、ここは87・81・80・Eの手順が必勝であった。黒81は好防。だが、Dの四ノビをしておかねばならなかったところ。
スンドリング四段は、白82から勇躍四追いで、90で四三勝ち。「サンキュー、グッド・ゲーム」と握手を求めると、立ち上がり「オー、オー」とからだいっぱいに喜びを表してくれた。6年目にして初めて筆者がスウェーデン選手に負けた1局である。

クールとホットを包含

クールとホットを包含スウェーデンのイングラ・スンドリング四段の第2局。相手を務めるのは筆者の長男・早川強四段である。私ごとで恐縮だが、和田隠石、早川本石、早川美勝、早川嘉美と我が家に受け継がれた教えは、世界に目を向けることになって、新たな喜びとなった。
17歳ながら棋歴は既に1年を超える。スウェーデンに渡ること2度に及ぶ。棋風は独特の味があり、素直にその良さを認めておきたいと思う。
この対局は夜10時から開始。持ち時間45分、以後は10手10分制を採ったが、終局は午前零時となる熱戦であった。

局面、黒5をAに打つのはスンドリング四段の研究にあるそうだ。また、黒9はB、白10はCに打つのもそれぞれ1局の勝負となる。
白16・18が早川四段の味。19に対する白20は落ち着いた好手。相手のペースに合わせない、こうした手が打てれば本モノであろう。さらに24?30の一連の打ち方が実に面白い。さすがのスンドリング四段も、本場の若者四段にたじたじの体である。

その“スンドリング像”について早川四段はー
「来日前に僕がスンドリングさんに持っていたイメージは、冷静で決断力のあるクールな人だから、日本流の対応や生活になじめるか心配していたが、それはいらぬ心配だった。スウェーデンではスンドリングさんの一面しか見てなかったのだ。実はいい意味でクールな部分と、それとは逆のホットな部分を合わせた、とても人間味のある人で、ささいなことを心配していた自分が恥づかしかった」

スウェーデンへ行きたい

スウェーデンへ行きたいスンドリング四段を称して、「クールとホットを合わせ持った人間味のある人」と17歳の高校生、早川四段がいう。対極にある二つ、アンビバレンツを受け入れることが人間成長につながるという教えがあるが、それを自然に取り込んでいるスンドリング四段は、確かに魅力あふれる人物である。

30から34と白好調。だが白40は誤った。これを黒がとがめなかったのは残念。ズバリ白40は45、黒45は47であった。
とくに黒45は秒ヨミの中を41・43と的確に四ノビしていただけに惜しまれる。47止めなら白熱した闘いが続いただろうに…。

早川四段「僕の力が十分発揮できたと思う。初めはコロッと負けないように慎重に打っていた。最後の詰めが甘かったが、上辺へ出ていけただろう。ムダな四ノビ、三ヒキを極力避けたのがよかった」

スンドリング「黒45はミステーク。ちょっと最後のところを直して新聞に発表してくださいヨ」
(あとで真面目な顔で取り消していた)

来夏、3度目のスウェーデン行きを夢みる高校生の弁をー。
「スンドリングさんと触れあって、連珠での国際交流が本当によいものだと改めて実感した。来夏、スウェーデンにはどうしても行きたい。
スンドリングさんは尊敬できる人で、ああいう雰囲気を持てるように努力したい」

日ス3番勝負の決戦

日ス3番勝負の決戦スウェーデン、イングラ・スンドリング四段の3回戦。新聞掲載を宣言した対局が1勝1敗となったので、意気投合の二人に決戦をお願いすることになった。

スンドリング四段、33歳。西園四段、31歳。昨夏のスウェーデン遠征(メーン大会で西園四段が優勝)で、すっかりスンドリング四段に魅せられた西園四段は、職場を放棄?して歓迎にあたった。
スンドリング四段も「日本に行くときには、君の家に泊まりたい」が実現して、2日間を西園四段宅ですごした。3日目の朝、「ここが気に入ったが、どうしても移らなければならないのか」とダダをこねて、もう1泊する気に入りよう。

西園四段「しばらく一緒に過ごしていると、言葉がすべて通じなくとも、彼のことがよくわかる。
連珠が好きで、ビールが好きで、曲がったことが大嫌いで、フェミニストで、猫が好きで、父親が好きで、人間が好きで、ジョークが大好き。それでもやっぱり連珠が一番好きだった」という。
まさに滞在中は連珠オンリーの毎日であった。

さて、持ち時間90分の真剣勝負。握って白番となった西園四段、しばし少考して「峡月」を指定。
と、白12までと打ったとき、「ここ(A)に打つとハマルからね」と、スンドリング四段はニヤリ。いま流行の大井耕三四段発見の後手策は、早くもスウェーデンに渡っているのを知るのである。

両雄、見事な攻防をヨム

両雄、見事な攻防をヨムイングラ・スンドリング四段の人柄を示す西園四段の印象をもうひとつ。
「ジョークを話している時の楽しそうな目。女性と話している時の優しそうな目。連珠の話をしている時の真剣な目。本当に猫の目の様に表情が変わるのが印象的だった」

さて、本譜に入り、素晴らしいヨミあいをみせてくれる。
白26が問題の一手。西園四段が「白28からは、(参考図)28・20と打ちたかった。しかし、黒が35と打ったとき、白は36に止めることができない。止めると黒にイロハニホヘトチリの四追いが残っている」と告げた。と、スンドリング四段は「オー、君もそれをヨンでいたのか。私もヨンでいたから、そう打ってくれればよかったのにー」と笑った。

黒35まで、このような深いヨミを秘めて進行しているのを、ぜひくみとっていただきたいものである。


来夏の再会を約して

来夏の再会を約して二人とも持ち時間90分を使い果たして、秒ヨミの中でのヨミ合いが続く。
白の攻勢も黒41となって、止まってしまった。だが、惜しむらくは、黒にこれといった好点が見当たらないのである。やむなく43と打ってみたものの、白に44と防がれて困ってしまった。白にとっては、まさにラッキーであった。
50となって白の必勝形。以下70までX点を長連禁にハメて、白の勝ち。悔しがるスンドリングの姿に、まだまだ上を見ることができた。スウェーデンの連珠普及に果てしない夢をかける筆者には、頼もしい姿、態度であった。

そしてまた、次の時代への橋渡しを10年においた筆者らの海外普及計画は、西園四段を得て、確実に受け継がれたのを喜んだものである。
西園四段も「スウェーデンで1勝、日本で1勝となった。来夏もスウェーデンに渡り、勝ち越したいものだ。また、他の仲間にも会って、語り合い、対局したい」という。

最後に、筆者とともに海外普及に努めている達富弘之氏の談話を伝えておこう。
「スンドリング氏の来日は、我々連珠愛好者に大きな夢を与えてくれた。6年も続いている両国の連珠を通しての交流を確実に継いでくれた。世界に広がりつつある連珠の足音をはっきりと聞くことができ、これほどうれしいことはない。研究熱心で棋力も充実した連珠界の若獅子、若鷹が世界に吠え、はばたく。楽しいことだ」

(1987年10月 『夕刊フジ』シリーズより)

*次回はいよいよ「連珠国際連盟」の誕生となる4度目のスウェーデン訪問記であり、ソ連の愛好家との初対面である。ご期待ください。