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「連珠を世界に!」ロマンの旅 17

国際普及の旅 スウェーデン日本人会を訪ねて 1986

連珠の国際普及は、「連珠」一辺倒だけではここまで早く普及しなかったのではないか。我々は国際普及と本格的に取り組むに当たって、目的をしっかりするために合宿を持ち、KJ法といわれる研修法を使って同行者の意識を確かなものにする努力に努めた。
日の丸を掲げて入国したこともあった。強く日本を意識しよう!を形にするためであり、日本の文化としての強い意志を発信しなければ長く続かないと考えたからである。

こんな我々の思いを正面から受け止めてくださる支援者が現われた。スウェーデン日本人会の皆さんである。
1984年、ストックホルムでの初めての国際大会が地元新聞に大きく報道されたのを見て、多くの在住日本人の方が会場に駆けつけてくださった。(→連珠ロマン10

その交流は2年後になっても太くなって続いていた。そして今回は大会を側面から支えてくださったのである。
当時連載の『夕刊フジ』から紹介したい。(局譜解説は割愛)

スウェーデン日本人会を訪ねて

夕刊フジ

大会を終えた翌日は、思い出のスキャンセン公園にくつろぎ、夕方6時からスウェーデン日本人会との交流会に臨んだ。この出会いがまた素晴らしく、我々の旅をより充実したものにさせてくれた。
早速、連珠を教えてほしい、となったのが本譜。盤と石の持ち合わせがなかったので、紙とエンピツを使っての対局である。


拡がりを見せる連珠の国際交流

夕刊フジ

心の触れ合いに強弱はあまり関係がない。弱ければ指導を仰ぐ姿勢をとればよく、要は、いかに真剣にとらえるかである。
我々との交流を機会に、日本人会の中に連珠クラブを作り、いつの日にかスウェーデン人との対抗戦を考えてみたい、まで話が弾んだ。当面は指導を仰ぐ形になるだろうが、実現すれば、これほど嬉しいことはない。

本局、黒を持つのはストックホルム日本人会の笠島洋二会長。日本の1級建築士の資格を持ち、スウェーデン在住の建築士。早速、スウェーデンの建築物全体のバランスが、なぜこんなに美しいのかをお尋ねしてみた。笠島会長は全体の調和(形、色)に細心の注意を払って建築しないといけないんですよ、とその苦心の程をお話くださった。

譜は西園四段の見事な指導局。指導局ではむろん勝ち負けなど関係がない。いかに相手に考えさせるか、いかに興味にある局面を導き出すか、がポイントである。その点で本局は理想的。

Aの四々は黒ダメですよ、黒の六つはダメですよ、が対局の中に語られているのである。「へ?え、こんなうち方をするんですか」と笠松会長。あとは熱心に誰かれとなく、対局を続けられたのであった。

「連珠に出会って、人生がもう一つ楽しくなりました。2年後もまたお会いしましょう」(カヨ・ヤンソン)、嬉しいことであった。

真の国際交流を目指して…

夕刊フジ

日本人会の交流の橋渡しをして下さったのは、2年前に偶然出会ったペーソン浜子さんとジェトロ(日本貿易振興会)のスウェーデン支所の服部和良さんであった。
私は冒頭「私どもだけが楽しんで帰るのではなく、ポジティムサム、我々も日本人会の方々も、間に入っていただいた方々もみんなが楽しくなる懇親会であって欲しい、と願っています」と挨拶させていただいたが、10分もしないうちに、あちらこちらで会話が弾み出していた。途中からは“ふるさと”など心に残る歌を合唱して、時の立つのも忘れるほどであった。

服部氏「経済のみでない真の国際交流を目指した大変意義のある代表団だったと思います。今後の交流のますますの増進をお願いします」
浜子さん「2年ぶりで再会できて大変嬉しく思います。今回はスウェーデン日本人会連合会とストックホルム日本人会で、皆様とともに親睦会を開くことができ、会のためにもとても有意義でした。
これからストックホルム日本人会も連珠クラブを作り、会員の親睦を計りたいと思います。今後ともよろしくお願い致します。」
玉田そのさん「何年かぶりの温かいスウェーデンの夏に、連珠の方々が美しい国といって下さってとても嬉しく思いました。私達もクラブを作りまして、いつか日本でお手合わせして下さる努力をしたいと思います。」

局面のことをとやかくいうより、笑顔かつ真剣に打った対局である。楽しいではないか。

連珠の趣味にスコール(乾杯)!

夕刊フジ

日本人会のことについてもいっぱい記したいことがある。が、そんなことを記しているといくら紙面があっても足りそうにない。すべてを割愛して「2年後は私どもでホームパーティもお世話しましよう。できるだけお手伝いしましよう」といって下さったことをお伝えしておきたい。

最後の日は、ヤンソン紀子さんが、夕食に招待して下さった。紀子さんとの出会いは2年前、我々のことを大きく報じた新聞をみてかけつけてくださった。今回も“おにぎり”の差し入れもして下さっている。
この日、浜子さんのご主人、ハンス・ペーソンさんや一度来日したことのあるペーター・カレン夫婦もやってきてくれた。カレンさんも「2年後は私の家で泊まってください」と言ってくれた。本当に楽しいひとときであった。
河村「この旅行の締めくくりがこんなに素敵なのは幸運だ」

私たちは出発の日、パルメ首相の暗殺現場に立ち寄り、黙祷を捧げた。こんな美しい国、愛する国スウェーデンでこのような不幸な出来事が2度と起きないように願ってー。

さて、このシリーズ、本当にいろいろの方々とお会いすることができ、望外の喜びに浸っている。これがきっかけになって、多くの方々に連珠のご理解をいただいた。また、個人的にもご指導を受けることになったり、個人レッスンを申し出ていただいたご婦人方もおられる。ありがたいことである。心から感謝申し上げたい。

本稿は1986年8月『夕刊フジ』紙に連載されたものです。