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「連珠を世界に!」ロマンの旅 34

今回はいよいよ中国への普及を印した報告をしよう!

連珠で日中友好を
京の早川さんら 北京でルール伝授    =京都新聞=

京都で生まれたともいわれる「連珠」が中国に渡ることになった。連珠八段の早川嘉美さん(49)=京都市東山区=ら日本連珠社(本部・東京)のメンバーが4日、中国へ出発し、北京と上海で連珠の魅力を伝授する。早川さんらは旧ソ連やスウェーデンなどでも連珠を定着させた実績があり、「国交20周年の日中友好が連珠でより深まれば」と期待している。

連珠で日中友好を=京都新聞=

連珠の起源については、江戸中期に宮廷の遊戯として考案され、広まったといわれる。日本連珠社では世界への普及を目指し、1977年に初めてモスクワに愛好団体を誕生させた。その後、旧ソ連の周辺国に広がり、88年には連珠国際連盟(本部スウェーデン、現6ヵ国)も結成。翌年には京都で初の世界選手権が開催された。
また、昨年、東京で開かれた連珠大会には囲碁が生まれた中国から新聞数社の特派員を招待、各記者が興味を示し、大会は大きく報道された。これを受けて「ぜひ、中国で連珠の実演を」との計画が持ち上がり、現地の囲碁協会が受け入れる形で連珠交流が実現した。

訪中するのは団長の三上繁太郎日本連珠社理事長、副団長の早川さんら七人。交流は五日に北京、十日に上海で行い、早川さんが大型の連珠盤を使ってルールなどを解説する。中国には連珠に似た「五子棋」と呼ばれるゲームがあるといわれ、早速、交流対局も計画している。
海外交流の窓口になっている早川さんは「連珠の楽しさと厳しさを十分に教えたい。現地の人が興味を持ってくれれば、日程を変更してでもアドバイスしたい」と意欲を見せている。

(1992.10.3『京都新聞』)

連珠の魅力 中国に伝授
京の早川八段らが帰国
   さすが囲碁の本場「普及、上達間違いなし」    =京都新聞=

日本連珠社(本部・東京)のメンバーが中国を訪問、連珠のルールと魅力を伝授して、このほど帰国した。囲碁の本場だけに参加者の飲み込みは早く、早速、交流対局も実現、日中の国交正常化20周年にも花を添えた。

連珠の魅力 中国に伝授=京都新聞=

訪中団は、副団長として関西からただ一人加わった連珠八段の早川嘉美さん(49)=京都市東山区=ら6人。中国囲碁協会の受け入れで、今月4日から11日まで滞在し、5日に北京の中国棋院で連珠交流した。中国側参加者は20人ぐらいと予測し、20枚の連珠盤を持参したが、会場には男女40人が詰め掛けた。
会場では連珠の大盤を使って早川さんがルールなどを解説。中国にも「五子棋」(ウーツーチ)と呼ばれる初歩的な五目並べがあるが、連珠に禁じ手があることや技の奥深さに、参加者は感心しきりだったという。

交流対局では、訪中団の有段者が、ひとり3人を相手に同時に連珠を打った。中国側は初めて連珠を体験する人ばかりだったが、団員からは「碁石が生きている」と驚きの声も。対局は3時間半続き、最後に、訪中団から中国囲碁協会の陳祖徳主席に持参の連珠盤がプレゼントされ、陳主席は「連珠が中国で広まるのは間違いない」と話した。

早川さんは「旧ソ連やスウェーデンにも連珠を紹介してきたが、中国の理解度は高い。数年で日本と肩を並べるのでは」と話している。

(1992.10.28『京都新聞』)

凡語    =京都新聞=

北京秋天。北京の秋は空が青く美しい。そのよき日に天皇陛下が初めて中国を訪問された。注目の「お言葉」には日中交流の長い歴史に思いを寄せ、将来の発展を願う素直なお気持ちが込められていた、と思う
連珠で日中友好を=京都新聞= ▼私たちが対外交流史の第一歩に学ぶ遣隋使や遣唐使。7世紀から9世紀にかけて中国文化の受容に働いた人たちである。随行の留学僧の中に最澄や空海らもいた。その事跡は京都に多く、日ごろ触れ合い、しのぶことのできる幸せが身近にある
▼宗教や思想、法律や制度、また建築や美術、あるいは生活全般にわたる新知識・・・。思えば、私たちが中国に教えられたものは数えきれない。例えば、源氏物語にも出てくる以後はすでに八世紀前半、吉備真備が唐から持ち帰ったものといわれる
▼このお返しでもあるまいが、つい最近わが国から「連珠」訪中団が北京を訪れ、大歓迎された。中国には、初歩的な五目並べに類する「五子棋」(ウーツーチ)と呼ぶゲームがある。ファンは京都生まれともいわれる連珠の奥深さに魅せられた
▼京都のメンバー、早川嘉美さんの大盤解説にわき、わが国でもなじみの囲碁の陳祖徳九段も加わって、熱っぽい交流が広げられたという。ことし第3回を迎える連珠の東京国際大会にも、新たに中国の参加を招請し、将来の発展が楽しみである
▼陛下が願われる両国民間の関係の進展はあらゆる分野で「世々代々」続けねばなるまい。古い漢籍や唐詩などがふと私たちを誘うのは知らぬうちに暮らしにしみた文化の含蓄を示すものだろう。

(1992.10.25『京都新聞』)

日中連珠交流記念 報告誌
「フツフツと湧き出る喜び噛みしめん 連珠と友と中国の大地」
                副理事長/八段 早川嘉美

まったく魅せられてしまった。訪問を終えてもう10日もすぎようかというのにフツフツ湧き出る気力が体内をかけめぐる。何が私を呼ぶのだろうか。
6月の打ち合せ会の席上、中国が単なる表敬訪問程度で観光中心となるなら私は「降りる」と企画・立案して下さった河村芳邦先生(副理事長)にダダをこねた。河村先生は私のダダをもてあましながら、「井戸を掘りに行くのだからー」と理解を求める一方、中国側に熱心に働きかけて下さった。まさか、事前に北京まで出掛けて、中国棋院と打ち合わせて下さっているとは夢にも思わなかった。今はひたすらおわびと感謝を申し上げるのみである。

こんなこともあって、北京を降りたった私たち一行を王汝南中国棋院副院長(八段)、王誼国際担当副主任(五段)らが、これ以上ないという喜びの表情で出迎えて下さった。これを見た瞬間、今回の交流は成功疑いなしを実感したものである。
天安門をみて中国の壮大さに触れたあと歓迎レセプションに臨んだ。中国側の出席は陳祖徳主席以下5名。王さんの司会のもとに歓談、会食が始まる。陳主席のスケールの大きさ、囲碁に寄せる愛情、私どもを迎える友愛深さが胸をうった。我々の方の主役は海外初遠征の新井正敏八段。大のつく″大偏食家"が「うまい!うまい!」と中国料理にパクつく一方、自慢ののど(民謡)、尺八を披露し、宴なかばも進まないうちに"知己″のように打ちとけた歓談に入っていた。

私は華八段と意気投合。バリバリの現役八段の同氏は、普及発展と国際交流に力をそそぐあまり対局も思うようにならない、とちょっぴりなげく。私とよく似た境遇である。国際交流にかける喜びと、こうして出会った喜びをカンパイで祝ったものである。心の通い合うのは嬉しい。

明けて5日。中国棋院の立派さに驚嘆し、囲碁をたたえる詩に感嘆する。詩にいわく「敬待新者 奪取冠軍」
午前10時大盤解説。中国語で挨拶しても通じない。やむなく「こんにちは、連珠の楽しさを知っていただくために日本からやってきました。どうぞよろしく。ニイハオ!」というとにこっ!と返ってきた。連珠の歴史、ルールの変遷、世界における連珠の位置とすすめ、15道盤を高く掲げる。
一気に彼らをひきつけることに成功したのは三の止め方。「三の止め方はいくつ?」「トビ三の止め方はいくつ?」と問いかけるとバカにするな!といいたい反応。そこで次図、「この三の止め方はいくつ?」とといかけると「2つ」とすばやい応答。私が「シー」というとしばらく声がかからない。ようやく前の席から「3つ」の声がかかり、「正解」というとエッーという感じで身を乗りだす。
ややすすめ「黒Aの四三勝ちを止める白の防ぎ手はいくつ?」と出題する。「4つ」の答えに「ブッシー、半分にもたりませんよ」の解説にどよめきが起こる。ようやく「5つ」の声。さらに2.3分経過しただろうか、後の方から「9つ」の声がでる。正解である。なんとその声の主は陳祖徳主席だった。会場からやんやの喝采で会場はもう興奮のルツボといえば大げさだろうか。ここで三森九段にバトンタッチ。的確な解説に全員納得して、もうすっかり連珠の魅力にとりこになっている。

なお、20人も出席していただければ成功とみていたが、会場には40人を超える人でいっぱい。これはあとで知ったことだが、あまりレベルが低いと失礼だというので、新聞に呼びかけて予選会を開き、出席者を選定したという。感激である。
黒の三々禁、四々禁、長連禁に触れていく。白は一切自由も説明。「先手と後手のバランスを保つためです。これがアンバランスのバランス、理解してくれますか」と問いかけると、当然だというようにあちこちから「是(シー)」が返ってくる。さらに加えて、「このルールに定着するまで260年の歴史を経ています。また世界に広がっている連珠はこのルールです」と説明すると深い理解を示す態度。外遊10回目となる私にとっては見慣れた光景であるが、やはり嬉しいことである。これが日本国内だと「そんなルールはおかしい」から始まって「子供の頃からそんなルールで打っていない」「禁じ手で勝つのはズルイ(汚い)」「そんなややこしいこといわんとー」等々、情けないかぎりである。

以下のもようは割愛させていただくが、成功の陰に王誼五段の素敵な通訳があったことをぜひつけ加えておきたい。間髪をいれずの通訳、早口のときは早口で、静かなときは静かに、三森九段の解説のときは厳粛に、まったく見事な通訳であった。いやそればかりではなく、私どもの解説を素早く理解していただいたことが、成功につながった。
午前の部10分を残して大盤解説を終える。「少し石を並べましょうか」というとごらんのようにたちまち人だかり。

午後2時交流対局開始。華八段から「希望者がいっぱいなので、ひとりが何人と打てるか」と申し入れあり。結局、三森九段、新井八段、田中五段、私の4人が夫々3面打ちをすることになった。囲碁九段、八段、女性チャンピオン(華学明六段)、有望新人らがひっきりなしに挑戦してくる。3時間半、まったく休みなし。他の対局を見て歩く余裕もなし。
私は、ナツ止め、ミセ手、フクミ、ノリ手、禁手とあらゆる手を試み、あるときは強く、あるときはゆるんで、連珠の魅力をひきだす工夫を心掛けた。ところがたった1局、手拍手で白6と止めたために、あっという間にヨミ切られてしまった。彼はこの日の講習会の出席をかけた予選会を勝ち抜いた人で、IBMに就職が決まっているといっていた。下の図は、今年の新人王(七段)だと紹介され、「それでは気をしめてうちましょう」打った譜。なかなかしっかり打っている。他の人たちもなかなか鋭いヨミであり、うかうか出来ない。
新井八段は″二重長連禁″という珍しい局面も披露し、その見事なワザに感嘆をひき出していた。彼らはこういったワザに感激する。しかしその力量は確かだ。既に有段の域がゴロゴロいるといってよいだろう。実に楽しみである。

夜、こん度は我々の開く晩さん会。ノリ手防ぎを見事に発見された陳主席に「ノリ手防ぎをみつけられたときの感想はいかがでしたか?」と尋ねてみると、「みんなが答えられないので、これはいけない、と真剣に考えました」と。私が重ねて「その時はどんな気分でしょうか」と問うと、「これだと判ったとき胸がときめきました」素敵な言葉だ。心のときめき、これがあるから対局は楽しい。陳主席にその一端を担っていただいたのは、大きな光明であるような気がする。
前日に増して楽しい宴となったことはいうまでもない。

大成功の余韻にひたっての万里の長城、故宮、碑林、兵馬俑などの見学も私にド迫力で迫った。一方、何かを求め激しく模索する人々。何とも言いがたい魅力にすっかりとりこになってしまった。
上海囲棋協会との交流はすべてを割愛させていただくが、ここでも歓迎され再会を約したことは記しておきたい。井戸は確実に掘られた。蕩々とした水が湧きでることを疑う余地もない。
この間にも、連珠発展のための議論を連日、日を越えて重ねた。これほど前向きかつホンキで、連珠の発展を討わせたことは久しぶりである。

「連珠を世界に!」を掲げて早や13年。待望のアジア地域、それも隣国、中国に芽映えたことの意義は大きい。私個人的には1年以内に再び中国の地をふみしめたいと強く思っている。

(『日中連珠交流報告誌』より)

日中連珠交流
アジアに待望の連珠の日
      報告記 副団長・副理事長  早川嘉美

【気は熟せり】
日中国交正常化20周年の記念すべき年、しかも天皇陛下が始めて訪中されるという歴史的な年に、日本連珠社は訪中団を結成して“碁石外交”を成功させた。
「連珠を世界に!」が掲げられて13年。旧ソ連、スウェーデンを中心に確実に広がりつつある連珠であるが、ひとたびアジアに目を移すと悲しいかな、細々とした個人愛好家いるばかり。“アジアに連珠の灯を!”は我々国際普及をする者にとって夢であった、といって過言ではなかったろう。それが遂に現実のものになってきた。

中国へのアタックは昨年から試みられた。平成3年10月開催の「第2回連珠東京国際連珠大会」に在日中の中国の新聞記者諸兄に招待状が送られた(4社から5人出席)のを皮切りに、4月2日東京で催された中村茂名人の名人位15期達成祝賀会に、中国大使から章金樹大使らのご出席が実現した。
一方、河村芳邦副理事長は、中国囲棋協会・王汝南副主席に『連珠世界』を届けるなど連珠のアピールにつとめ、4年6月、北京に陳祖徳出席を訪ねて直訴。関係資料(ルール、連珠の国際状況、RIF規約、連珠世界戦報告誌など)が次々と届けられた。その結果、中国囲棋協会が我々の受け入れを表明してくれたのである。

中国の棋界は我国のように、日本棋院(関西棋院)、日本将棋連盟、日本連珠社といった分かれたものではなく、中国囲棋協会がすべてを統括し、囲棋(囲碁)、象棋(中国将棋)、国際象棋(チェス)の部がある。従って、新種目として「連珠」を取り入れるのにそれほどの抵抗はない。むしろ最大の課題は「ゲーム(頭脳スポーツ)として研究に値するか」「世界に活躍の場はあるか」をクリアできるか、である。
ともあれ我々の今回の目的は、中国囲棋協会の第4の種目として「連珠」を取り入れていただく可能性を求めること。いわば“井戸掘り”であった。

【訪中団の顔ぶれ】
一行は6人。歴史的な事業の割には一抹の淋しさは否めないが、三上繁太郎理事長を団長に、中国と太いパイプを持つ、今回の推進役・河村芳邦副理事長、東都のまとめ役で、指導者としても定評のある三森政男九段(理事)、13年前のスウェーデン、一昨年の旧ソ連遠征の経験を持つ田中忠義五段、初参加ながら元A級の実力者・新井正敏八段に筆者が加わった。筆者はスウェーデン、デンマーク、オランダ、旧ソ連についで5ヵ国、10度目の外遊である。こうしてみると少数精鋭ではあるが何にでも対応できる人材が揃ったといえる。

筆者個人的には、従来の国際交流が京都主導で行われていただけに、今回が本部(東京)主導で実行されたことに大きな意義を見出していた。本部と地方が競り合って、一つのものに昇華できれば、これほど力強いものはない。
さらにまた、ねばり強い折衝、資料の整備、素早い理事会決議等、一体となって動けたのは、当然とはいえ嬉しい成果であった。次回は会員の方々にうまくアピールするように考え、多くの方とご一緒したいものである。

【北京に到着】
平成4年10月4日、10時20分成田発、13時40分北京着。時差1時間を差し引くとわずか2時間20分の旅であった。この近くて遠かった中国に、果たして“井戸”は掘れるのだろうか。
しかし、その心配はすぐさまかき消される。北京国際空港を出るや否や、王汝南・中国囲棋協会副主席(八段)、王誼外務部副主任(五段)が、まさに飛びつくといった情景で出迎えてくださった。

この日、天安門広場などを見学のあと、歓迎レセプションに臨んだ。中国側からの出席は、陳祖徳主席(九段)、華以剛囲棋部主任(八段)、封朝活動経営部副主任、胡海波外事部主任、王誼五段の5名。王さんの司会ですすめられていく。冒頭の写真は懇談会後の記念撮影である。

日中連珠交流

挨拶に立った陳主席、中国のこと、囲碁のこと、日本との交流のこと等々を静かに、しかし熱っぽく要点を押さえながら、暖かい歓迎のことば。そこには母国を誇り、囲碁を愛し、人を愛するスケールの大きさを感じたものであった。

懇談のはじめは「禁手について」「なぜ禁手が必要なのか」「連珠の魅力について」「世界の広がりについて」「連珠の歴史」「五子棋(ウーツーチ、中国流五目並べ)について」等々が中心。途中、新井八段が尺八と民謡の名手(号・小松勝敏)ということで、美しい音色と朗々たる美声を披露すると、たちまち場は親密度を増し、話が弾んだのである。

【中国囲棋会館を訪問】
明けて5日、10時きっかり中国棋院会館に到着。立派な会館に驚きながら、華八段の案内で見学する。
説明によると、中国棋院は「囲棋部」「中国象棋部」「国際象棋部(チェス)」の3部門から成っている由。その4つ目として「連珠」を取りあげてもらえるかどうか、今後の活動にかかっているといえよう。うまく乗っかれば、新しい組織を作るよりはるかに可能性が高い。旧ソ連がチェス連盟を母体にして、たった2人の愛好者から、6000人の有段者をかかえる組織に発展したことを思えば、前途は洋々である。
いずれにせよ、今回のみに終わらない継続した訪中団の派遣が不可欠といえよう。

300人が一同に対局できる大対局室では、全国各地から参加の新鋭戦が行われていた。もちろんみんな若い。女性の姿が相当見られるのが印象深い。

【大盤解説、大いに盛り上がる】
いよいよ大盤を使った連珠の研修である。
参加者40名あまり。現役九段、八段クラスから、女流チャンピオン(華学明六段)、この日のために「五子棋(ウーツーチ)」予選会を勝ち抜いて出席権を得た人まで、幅広い。

「五子棋を皆さんは楽しまれたことがありますか?」「是(しー)」
「連珠(RENJU)は五子棋にルールを整備したものと考えてください。子供の遊びだけに終わるものではありません。日本では古くから親しまれており、ハッキリしているだけで260年前にさかのぼることができます。ルールは少しずつ変わってきていますが、今日はこれらを知っていただき、連珠のワザをご紹介します」と熱っぽく訴えながら、徐々に深く入っていく。

一気に盛り上がったのはノリ手の防ぎ。「黒の四三が見えています。これを防ぐ手は何ヵ所ありますか?」の設問。
なかなか出ない正解に「9ヵ所」と答えたのが陳主席であった。「正解です。皆さんの中で最も理解が早く、連珠の才能があるのは陳先生です」とおどけ気味にいうと、会場はどっと湧き、一体感が生まれたのである。
禁手の必要性をみたあと、攻防に入っていく。みんな身を乗り出して、目が輝いている。

大盤解説

ここで出題したのが上図。「黒から打ち出して四三勝ちを作ってください」
あちらこちらから「"ABC〝"CBA"で勝ち筋なんだがなあ」というようなつぶやきがもれる。これをたしなめるように「白に三ができるじゃないか」というような声が聞こえる。このとき「ハイ!」といって手を上げたのが一人の女性。大盤の前に来て"ABC"と打ちかけて、アッと小さくつぶやいて石を止める。しばし少考。やがてBと打ってAとCの両勝ちに気がつく。見事に正解である。初めての講習でこれが解けるなんて、楽しいではないか。
正解がわかると理解は早い。なるほど"見合いか"というわけである。こうして1時間半にわたる大盤解説は、連珠の魅力をふんだんに訴えて、大成功を収めたのである。

「少し入りを並べてみましょうか」と声をかけると、たちまち人だかりができた。

【ひとり3面打ち、指導対局】
午後2時、いよいよ指導対局である。
華八段から「連珠の難しさはよくわかった。ひとり一人の対局ではとても対抗できないこともよくわかる。我々の方の希望も多いので、ひとり何人を相手にしていただけるか」の申し入れ。結局、ひとりが3人と対局することになった。
たちまち人だかり。女性も多い。1局が終わればすぐに変わりの人が挑戦してくるので、席を離れる暇はまったくない。この状態でみっちり3時間半、都合100局も打っただろうか。

初心者にあり勝ちな三や四を見落とすケースは全くなく、三々禁や四々禁にハメられると、いちおうに関心をしめす。ヨミも囲碁に裏打ちされているだけに鋭く、ミセ手を使おうとする工夫もみられた。3面打ちとはいえ、無キズは新井八段のみであったことを付記しておきたい。

打ち出しの形さえ身につけば、既に二三段クラスがゴロゴロいる。それはともかく、わずか1日とはいえ連珠の面白さ、奥深さの一端を紹介することに成功した。あとは中国の方々が連珠を取り上げてくれるか、否かである。今回の盛り上がり方から見て、その可能性は極めて高いと思われるが、我々がその支援を惜しんではならないのはいうまでもない。
5時半終了。なかなか石を置かない人も多い。再会を約して会場をあとにしたのは、既に6時に近づいていた。

【上海囲将協会を訪問】
ひとり3面打ち、指導対局 10月10日10時、第2の目的である上海市囲棋協会を訪問。この日は北京での公式対局日とあって、ほとんどが北京に出掛けられている由であったが、尹鐘佐副主席、邸技術委員副主席、呂国梁月刊『囲碁』編集副主任、曹志林八段らが笑顔で待ち受けてくださる。
同協会は中国囲棋協会の上海支部を兼任した形で、両協会を兼職する人が多い。陳祖徳主席の出身地でもあり、組織は強固である。やはり、囲碁、象棋、チェスの部門があり、連珠を新たに加えていただく余地は残されている。
今回は時間の制約もあって、意見交換と我々の希望を申し入れるにとどまったが、関心は高く、継続した情報提供を強く要望された。記念対局を掲げておこう。

【結びに変えて】
雰囲気をお伝えしながら中国との交流を報告しましたが、誌面の都合で大幅に割愛せざるを得なかった。いずれにせよ、日中国交正常化20周年に"碁石外交"できたのは幸いである。

【日中連珠交流記念報告誌】
残念ながら、在庫がほとんどありません。

(1993.3.1『連珠世界』より)

第3回東京国際連珠大会
  個人戦は奈良八段が優勝
  団体戦は日本代表が優勝

第3回を迎えた東京国際連珠大会は、1992.11.2?3日、東京の日本青年館において開催された。その結果、個人戦では奈良八段が全勝で優勝、団体戦では日本代表が優勝した。

第3回東京国際連珠大会

第3回東京国際連珠大会

(1993.1.1『珠友』より)