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「連珠を世界に!」ロマンの旅 18

わたしのストックホルム

この項は世界歴史都市会議に合わせて企画された京都新聞紙上における「世界歴史都市会議への誘い」シリーズのひとこま。こういった思いで国際普及に取り組んできたのです。息抜き的にお読みいただけれ打幸いである。

    はやかわ・よしみ(嘉美)。1943年生まれ。日吉ヶ丘高校卒。
    社団法人日本連珠社副理事長、国際担当で海外普及に尽くす。
    連珠八段                  1987.5.30『京都新聞』より

連珠で家族ぐるみの友情を結ぶ 早川嘉美さん

スウェーデンでは、連珠のことをルファチャックと呼ぶ。その打ち手、トミー・マルテルさんから、突然手紙が舞い込んだ。「あたなの本で五目が日本のゲームであることを知った。教えを乞いたい」と。1980年のことです。その後、手紙のやりとりがあり、2年後、私は招待を受け、息子とスウェーデンを訪ねた。12月の寒いときだったが、人々の温かい歓迎が忘れられません。

翌年はマルテルさんが夫人、娘さんを連れて来日。その後、交互に行き来するようになり、ことしはスウェーデンが来る予定になっている。この間、海外では一番盛んなソ連を含め、3国対抗の連珠通信戦も始めた。「連珠を通じて世界の方々と握手をしよう」の合言葉で進めてきた。京都を中心とする日本連珠社の取り組みがお陰さまで軌道に乗った。ハイライトは小学4年から70歳までの10人が大挙して出掛けた84年のとき。子供たちが5人もいるので大歓迎です。私のところは家内と子供3人の家族ぐるみ。

スウェーデンでは20年ぐらい前からルファチャックが広まり、大会まで開くようになっていた。このときの対局はマルテルさんのいるヨンチョピング、そしてストックホルム。メーイベントは第3回ストックホルム・サマートロフィー。私が優勝、長谷川主将が11勝1敗で2位。3,4,5位がスウェーデン人。

魅力を知って欲しい
国際親善といっても普及のためには、高度な技術で打ち負かし連珠の魅力を知ってもらいたい。それとともに『日本のこころ』を伝えたいというのが私たちの考えだった。事前に合宿したり、半年間、ランニングをしたりして体調を整えたり、何のために行くのか、子供たちにもレポートを義務づけた。向こうの人も日本の文化を学ぶという感じで礼儀正しく対局していた。ストックホルム市長に京都市長のメッセージを届け、所期の目的は果たせたと思う。

また私たちは費用自弁ですから、できるだけ安くあげたい、とホームスティを申し入れていた。と、現地メンバーのおじさんの留守宅そのまま、10日間の滞在中、貸してくださり、炊事場、その他の使い方も細かく書いたメッセージが置いてある。感動しました。それに新聞も大きく取り上げた。これを見た日本人会の人たちが観戦にきて、おにぎりの差し入れから、通訳のボランティア、観光案内と親身なお世話。どんなにうれしかかったか。その方々との交流がいまも続く。

京で生まれた連珠
連珠は京都で生まれた。従来、中国から渡来したとか、平安時代から続くといわれていたが、本格的に調べ直すとはっきりした裏付けがない。平安に出てくる「格五」はどうもカエル跳びの一種らしい。ようやく確かな文献として、250年前に松原柳馬場で始まったことがつかめた。昔、京碁ともいったのも、そのいわれかもしれない。連珠の呼称は明治32年に万朝報が「聯株」と統一してからです。

海外で五目がどうしてできたか、日本人の外交官や商社マンの遊びが現地で広まったとか、着想が簡単だから自然発生したとか諸説あるが、デンマークでは「ゴモク」と呼ぶところからすると、日本人がはやらせた可能性は十分ある。

されにしても京都で生まれた連珠が世界に広まるって楽しいですね。ある人が言っていた。21世紀は日本が決めたものではないが、京都の1200年は意思によってつくられたものだ。その事をもっと大切にしなければと…本当にそう思う。

父がやっていたのを少しでも広まれば、と引き継いだ。こんなに盛んになるとは、あの世で父も喜んでくれているでしょう。

1987.5.30『京都新聞』

  * 新聞右の写真は早川の撮影によるもの
  * 記事には少し脚色があるがそのまま掲載した

京都新聞