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「連珠を世界に!」ロマンの旅 22

待望の3ヶ国対抗戦

今回は「回し日記」の抜粋でお届けする

達富弘之
連珠国際連盟の結成を控えて我々はオランダに立ち寄った。
1988年8月2日、AM7:00すぎ、ほぼ定刻どおりにアムステルダムに着きました。ストゥテンが手配してくれたHotel Idisに直行。依頼したとおり空港のすぐそば。ストゥテンのメッセージが入っており、PM2時にホテルに来るという。
これを受けて我々メンバーは、早川、達富親子を残して、3班に分かれて自由行動―。
夕方になるとMr.Blommarsがやってきた。

オランダの愛好者と交流 1988.8.2

河村典彦
きのうのできごと。

AM10:00バスに乗り込みスキポール空港へ
11:00アムステルダム着
12:00西園班(春美、田中、柏倉)と別れ、池田班とも別れる。
私たち(河村、早川加、早川美、光志)4人は迷ったあげく、テラスのあるレストランを選ぶ。加代子さんはツナサラダ、とり肉。残りの者はスペシャルメニュー(ハンバーグ)を食べるが、スープ、メインディシュ、アイスクリームの量の多さにたまげた。しかし、私と美枝ちゃんはほとんどたいらげた。光志も野菜以外は全部食べた。
私と光志は、マクドナルドでジュースを買う。
PM1:50遊覧船に乗って運河一週の旅。4ヶ国の解説(Dutch、仏、独、米)がなされたが、わかるのは英語のみ。しかし他のメンバーには何もわからない。私が説明しようと試みるがよくわからない。加代子さんはほとんど寝ていた。
PM3:00ダム広場に向かう。アイスクリームがうまい。Policeとアイスクリーム屋のおっちゃんが言い争っていた。おそらく店をたためと言うのだろう。でもおっちゃんは、しぶとく続けていた。
ろう人形の館へ。前ほどの感激はない。写真売りのねえちゃんに呼び止められたが無視。
歴史館へ行くが良くわからなかった。
PM4:00待ち合わせが5:00なのであまり時間がない。そこで近くのデパートに入り時間をつぶした。私は喫茶でミルクを飲みダウン。足が痛い。腰も。
PM5:00西園班と合流、帰路へ。
PM6:00ストゥテン、グリムメルヘンに会う。グリムと将棋を2局指し2勝。夕食は昼食とほとんど同じパターン、同じ量だったのでびっくり。オランダ人はこんなに毎日食べるのか?
ストゥテンと将棋の話、勉強の話などをした。驚いたのは、2年間で自分の語学力がけっこうアップしていたこと。やはり2年の特訓の成果?がでたね。でもまだまだ力量不足。
夕食後、ブロマー、ローカスと再会。ブロマーはこれから、オランダの連珠を盛り上げると約束してくれた。
PM11:30解散。See you next week.
光志はすでに寝ていたがたたき起こす。
in the midnight突然足がつった。夢から覚めて悲鳴をあげた。
「い、いた、いた?」 初めての経験。きょうは足が痛い。

Peter Blommars
I thank you again for coming. When I think of Japanese friends I think of our
Renju friends from Kyoto first your visit are always very nice and friendly.

Pieter Stouten
It is nice to see you every two years. I think we should establish an exchange
and make it possible for Dutch players to go to Japan in the years in between.
But in any case it is always nice to meet and play games.

ストックホルムに到着 1988.8.3

8月3日、夜、夜といってもまだ明るいが、8時に胸をワクワクさせながら、ストックホル
ムに到着しました。アムステルダムとはまったく違って、ゆったりしています。入国手続きをすますと、日本人会副会長の奥村義孝さんが出迎えて下さいました。
アスプランドも迎えに来るはず、としばし待っているといきなり後ろから「How do you do」とスンドリングと若いアンダーソンが近づいてきた。もう喜びの爆発である。
一緒にホテルへ。10時、翌日の打ち合わせのために全員ロビーに集合しているところへ、マルテルやソビエト選手が、どっと挨拶にやってきた。狭いロビーは、てんやわんやである。

ストックホルム・サマー・トロフィ始まる 1988.8.4

いよいよストックホルムサマートロフィの開始です。オープニングの前に田中とみ江さんが大正琴を弾き、参加者をなごませたあと、ディレクター・アスプランド氏の進行によって自己紹介です。
そして、AM11:00 3ヶ国対抗は一斉に幕を切って落としました。

3ヶ国対抗戦

自己紹介からー

トード・アンダーソン(ス)40歳じゃありません。30歳です。
フランク・アルキボ(ス)コンピュター技師、27歳、連珠歴6年。
バルスキ・ヤニオン(ソ)五目しかしていません。昨年の全ソ2位。
イゴール・ドロスコビッチ(ソ)五目、白ロシア。連珠もやりたいし、ベストを尽くしたい。
ローシュ・エレックソン(ス)30歳、連珠歴7年。五目は10年。この大会にベストを尽くす。
レオニード・グルコフスキー(ソ)21歳、連珠歴6年。1986年のチャンピオン。
ローシュ・ヤンソン(ス)30歳ですが20歳にみえます。ウプサラのビッグトーナメント4位が最高です。しかし4人しか出ていない。
ピーター・ヨンソン(ス)1年前から教師(数学、歴史)を始めました。1981年 マルテルから連珠を習った。成績は上か下かどっちかです。
ステファン・カールソン(ス)1週間前に大変嬉しいことがあったのですが…。19歳、2年前に、マルテル氏から教わった。来年、京都に行きます。
ヨルマ・キャルピネーン(ス)37歳。昨年行われたヨンチョピングの大会に優勝しました。
ビクトリア・カーフマン(ソ)4年前になりますが、五目しかしたことがありません。連珠は初めての経験ですが、頑張りたいと思います。
連珠はロジカル(理論的)なゲームだから、世界に広がる。白ロシアに連珠を広げたいと思っています。私はみんなに勝ちたいです。
アレキサンダー・ノソフスキー(ソ)27歳、連珠を始めて9年です。連珠を始めたときは、4名でスタートしました。通信戦で優勝したのが、一番大きな成績です。私は皆さんと連珠を楽しみたいと思います。
ヤン・パルムグレン(ス)1984年から連珠を始めました。1987年のスウェーデンチャンピオン戦に出たときと1988年にスンドリングと対局したのが最大です。勿論優勝したい。
アルバート・ポゴシヤン(ソ)28歳、アルメニアから来ました。7年連珠をやっています。この大会が人生の中で一番大きな大会になるでしょう。日本のプレイヤーと対局したいと思います。
10月にエレバンでチーム・マッチをしますので、日本からもどうぞ来て下さい。
イゴール・シニョフ(ソ)28歳、1980年から連珠をやっています。日本人とは通信戦をやっていました。私の夢は日本人と会うことでした。非常に嬉しいです。
アンドレー・ソコルスキー(ソ)38歳、ソ連の連珠組織をまとめるのに8年かかりました。参加する大会はすべて勝ちたいと思いますが、ゲームを楽しみたい。結果は二の次です。
近い将来、ワールドチャンピオン戦を行いたいと思います。その為にも、この大会は非常に意義があると思います。
イングラ・スンドリング(ス)私はスウェーデンのチャンピオン戦で優勝したことがありますが、京都の大会で2位になったことが、私にとって大きいです。
チェックリーゾフ・パテル・
アレクビッチ
(ソ)今現在、ソ連の連珠は大変な発展をしています。連珠連盟のお陰で出かけられるようになりました。ソ連のインターナショナルな組織はチェスに含まれるでしょう。チェスの連盟は、連珠もまた広げるでしょう。ソビエトの連珠組織は、チェスに続く組織となるでしょう。
64歳、セントラル・チェスクラブのチーフです。考えますに、国際連盟は3カ国だけによらず、世界に広げたいと思います。

いよいよ ストックホルム・サマートロフィ1回戦開始!

(報告誌から、各回戦を追いながらエピソード等を紹介していこう)
ソビエト9、スウェーデン11、日本8(京都5、東京3)の計28名。東京からの3名は定刻に間に合わず時間切れ寸前の滑り込みでした。

西園典生
Sokolskyソ連のリーダー格。38歳、顔だけは50歳。いろんな話をする時の楽しそうな顔と、会議のときの真剣な顔の両刀使い。卓球はモスクワチャンピオン。ジュース3回後に負けてしまった。

早川嘉美
試合風景光志の相手はKlempert。苦戦にもかかわらず、随分楽しそうな雰囲気を作り出している。ゲームがエキサイトすることで、さらに楽しんでくれそうだ。頑張れ光志。
私は三上八段と仮後。“斜引き”を打ってきたので当然チェンジ。手詰まりかなと一瞬思ったが、悪い手は打っていないので、勝ちはあるはずとヨンでみると約5分でヨミ切り。それを5分かけて検討。さらに5分かけて違う勝ち筋がないか、ヨミの練習をした。
そのあとに、光志から“勝った”と体全体からの信号が伝わる。
相手がいかに喜んだ(この心理が面白い)は、石を何度も並べ直し、仲間と検討し、あと光志と記念撮影するという具合。この喜びよ、永遠なれ!
このあと、ソビエトのポゴシヤンとブリッツゲームを4局。まずは負けるわけに行かない4戦4勝は立派。
2回戦を前に、スウェーデン、ソビエトの仲間と一緒になってのランチタイム。言葉はほとんどダメだが、何の違和感も心のざわつきもない。まったく静かである。
今は彼らと離れて一人ぽっち。真っ青な青空のもと、ベンチに座り、通る人を眺めている。

大会2日目 3?4回戦へ!

試合風景4回戦を終えてー
 早川嘉美 
 河村典彦 ×
 西園典生 ×
 達富弘之 
 早川光志 

早川嘉美
既に大会2日目を終了している。現在の成績は上のとおりでまずまずである。私はソビエトNo2、No1と当たり快勝。対局中、少しのおごり、あせりもない。ただシニュフとの対局で勝ちを見つけ出したときは、エキサイティングなゲームであっただけに、かなり手が震えた。恥ずかしいことだが、まだ対局に対するエネルギーが残っていることを知り、嬉しいことでもあった。
競技中、選手達のウロウロするのが目につく。特にソビエトの選手たちは、早川、河村、西園の対局を何度も何度も、本当に何度も見にくる。いかにも日本人と会うのが待望久しかったかを物語り、着手への関心が高いかを知ることができる。

夜9時から国際連盟のミーティング。名誉会長・三上繁太郎、会長・トミー・マルテル(ス)、副会長・早川嘉美とアンドレイ・ソコルスキー(ス)と決まるなど、次々と取り決めていき、疑問点を抽出した。
国際連盟は正式に決定し、来年8月、京都でワールドチャンピオン戦を開催することになった。荷が重いが、これからの人生を当面これに打ち込み、英語のレッスンを始めようと思う。
「連珠を世界に!」にスコール。

大会3日目 6回戦を終えて1・2位を独走

早川嘉美 × (×は対河村戦)
河村典彦 ××
西園典生 ×× (は対河村戦)
達富弘之 
早川光志 

河村典彦
シニョフに勝った! 疎星で勝てたのが嬉しい。検討では負けた(よくヨンでいる)。
それにしても、彼らはよく日本が打った手を知っている。この局も東西戦で西山さんが相楽さんに対して打った手だと言った。
ソ連で2つの団体があり、連珠と五目の団体だそうです。でもやっぱり、連珠を発展させたいと思っているそうです。

Igar Sinyov
We invite the Japanese team in Team USSR Championship in Yerevan in October 1988.
The Yerevan Renju Federation will take the whole cost of stay and living for all Japanese players who 11 attend the tounament.
Travelling to Yerevan and visa be solved by Soviet-Japan company Hadzime Savatari,Japan, Tokyo tel 03-980-3435.
We also invite Mr.S・Mikami parsonaly as the honored guest with the condition of players the Japanese team.

最終日 7-8回戦に突入!

最終日のこの日はB級(ビギナークラス)の競技会も催されました。参加者は我々から5名、スウェーデン日本人会から4名(内1名はスウェーデン人)、計9名で、残念ながら、ソビエトからの参加はありませんでした。女性8名で歓声や笑顔がとても気になるところで、A級選手も気になるところです。

B級最終結果

早川嘉美
日本人会から鳥本範さん、藤田ご夫婦、依田INGRIDさんの4人が来て下さる。嬉しいことだ。
はじめにルールの説明、時計(20分打ち切り制)の説明をすると、ニコニコして練習に応じてくださる。こんな心弾むことはない。ばんざ?い。

伊藤武(偶然会場にきあわせた方=大学教授)
昨秋10月から英国に来ており、クリスマス休暇には南欧、イースターには中欧、この夏休みに北欧と併せて20ヵ国を回っていますが、スウェーデンで日本の連珠会が催されているのは、実に驚きました。
日本はまだ世界に理解されておらず、車、カメラ、エレクトロ等、物の面でしか外国人に知られていないのは誠に淋しく、文化面での活躍が諸外国で見られるようになれば、国際交流の実が、文字どおり上がるものと存じます。
益々のご発展をお祈りいたします。

最終局、河村七段逆転優勝

終始トップを走っていた早川八段が、ソビエトの若者、Gluchovskyに不覚を喫して、逆転。しかし、その瞬間、対局を取り囲んでいたソビエト選手たちから、歓声と拍手が巻き起こり、ストックホルムトロフィーは劇的な幕を閉じた。

河村典彦
試合風景8回戦、前局で早川さんが勝ったので、日本人の優勝が決まった。たぶん、最後も早川さんが勝って優勝を決めるだろうと思っていたのだが…。
最後もソ連の人(ドロスケビッチ)と当たり、これで3人連続だ。最後は比較的楽に勝つことができた。しかし、計算してみると、シニョフが負け、西園さんが勝っても、西園さんは3位になれないことがわかりがっかり。
早川―グルコフスキー戦を見ていると、グルコフスキーの方が優勢そう。ひそかに優勝を狙う。
グルコフスキーが勝った瞬間、大きな拍手がわく。私は彼に歩み寄り“congratulation”と握手。(ゼスチャーは大きく)一同から笑いが起こる。

表彰式―

大きなカップを2つももらったのは嬉しいが、どうやって日本に持ち帰ればよいのか困ってしまう。他にもおみやげをいっぱいもらったし、結果的には最高の大会になった。最後4ゲームの調子を名人戦に持ち込みたいと思います。
優勝カップは次回に持ってこなければならないようです。しょうがない。再来年もくるか。

最終成績を掲げておく。

ストックホルムサマートロフィー

B級(ビギナー)競技会より

試合風景参加者は日本から5、スウェーデン在住日本人3、スウェーデン人1の計9名。残念ながら、ソビエトからの参加は見られませんでしたが、何といっても女性7というのが目玉。歓声と笑い声が売りもののB級は、緊迫した会場を和ませてくれました。
成績は次のとおり。

(後日談=この大会に参加してくださった唯一の男性・鳥本範さんとスウェーデン人唯一参加のIngridさんが、その後結婚されています。)

RIF 連珠国際連盟 誕生

1988.8.6の予備会議(PM9:00?11:30)に続いて、いよいよ連珠国際連盟のミーティングの日がやってきました。予備会議では、ソビエト側から次々と要望が出され、本会議で日本の答弁を待つ、という形であったが、予備会議の席上で、基本的なことは合意に達していた。
8月8日、PM4:00からいよいよ本会議。議長をトミー・マルテル氏に、ソビエト側からアンドレー・ソコルスキー、アレキサンダー・ノソフスキー、ビクトリア・カーフマンの3氏(他に通訳1名)、日本側からは三上繁太郎、早川嘉美、達富弘之、河村典彦(途中から西園典彦に交代=他に通訳として、グムラ・レンドバーリゥ・ワダさん)、スウェーデンからはピータ・ヨンソン氏。
ときには厳しく、ときには穏やかに、しかし連珠を世界に広げるのだという一つの願いにはいささかの狂いもなく、各項目がチェックされた。そして、10:30ようやく全項目について合意がなされ、ここにRIF・連珠国際連盟が正式に誕生したのである。

決定事項は次のとおり。
【名称】THE RENJU INTERNATIONAL FEDRATION (略称RIF)
試合風景【役員】会長  トミー・マルテル(ス)
    副会長 早川嘉美
    〃   アンドレイ・ソコルスキー(ロ)
    名誉会長 三上繁太郎
【本部】会長の所属する国
【加盟国】日本、スウェーデン、ソビエト、
     オランダ
【拒否権】日本、スウェーデン、ソビエトは
     拒否権を有する。
【目的】
  1 ワールドチャンピオン戦の実施
  1 ワールド通信戦の実施
  1 会報「RENJU WORLD」の発行(第1号は89年1月)
  1 連珠の世界普及
【第1回ワールドチャンピオンシップ 開催大綱】
  開催地は京都 89年8月上旬の5日間

早川嘉美
色紙日本の連珠愛好家の皆さん、待望の連珠国際連盟が誕生しました。そして来年8月、いよいよワールドチャンピオン戦の実施と、まるで夢のようなできごとが実現することになりました。
開催までには、幾多の困難、資金的にも、労力的にも、たいへんなものがありますが、しかし、それを乗り越えて、私どもの愛する連珠に夢を託そうではありませんか。日本に帰りましたら、ただちに行動に移す予定でおります。どうか皆様方の絶大なるご協力を切にお願いする次第です。

早川加代子
国際連盟誕生 おめでとう!
日本の中でのモタモタが嘘のように、アッという間の連盟設立である。もちろん、綿密な計画があってのものであるが、外国人の決断の早さには、今更ながら感心する。これからが本番であり、困難の山積みであろうが、まず第1歩はふみ出された。今後の成り行きが楽しみである。

夫々のスウェーデン

8/4?7のストックホルムサマートロフィの大会中の前3日、選手以外は夫々思い思いに自由行動を楽しみました。主な行動はー
・Jonkopingへウォルドルフ人形のふるさと&マルテル夫人を訪ねた班…早川加、早川美、西園春
・フィンランドまで2泊3日の船旅を味わった班…田中、柏倉
・ストックホルム市内を中心に観光に歩いた班…池田稀、池田恵、池田妙、池田行

ストックホルム観光中心の池田稀信さん

池田稀信
朝から、田中さん、柏倉さんのヘルシンキ行き、シルバーラインの予約とチケットの受取に同行した。地下鉄のostermelmetorgという長い駅名で下車したが、なんと地上から随分と深い位置に駅があり、急な長いエスカレーターの乗り継ぎやエレベーターがあり、戦時には避難壕にでも使えるような考えだろうかと思われた。
前もっての電話連絡に反し、出口が8ヶ所もあるし、公衆電話は故障のものばかり。子供たちとも手分けして、「ツムラ」(toravelgent)を探し出すのにいささか苦労した。お陰で街に慣れることには大いに役立った。
午後はスキャンセンに、片道は船を利用して遊ぶ。しかし、途中からは雨になり、少し楽しさが半減した。
連珠の選手の皆さんは、順調に勝ち進んでいるとのこと。ご健闘を祈ります。

(池田稀信さんのこと=早川)
池田さんは、尊敬する税理士の先輩。私がスウェーデンとの交流を続けていることを知り、「一度スウェーデンに行きたいと思ってるんや。連れてくれへんか」と声をかけられ、二つの条件を出して、ご一緒することになった。
二つの条件とは(1)オープンセレモニー、表彰式、日本人会との交流会には出席していただくこと(2)連珠仲間に真摯な気持ちで接していただきたいこと。特に外国人と話をするとき、連珠の話題がでれば知らないなりに真摯に応対していただきたいこと、であった。
通訳&日本人会の橋渡しをして下さった鳥本さんと意気投合。その後、お住まいの天理市に再三お招きになって、活動されていたライオンズクラブ、各種経済団体や税理士会で講演などを依頼される一方、自らも税理士仲間を引き連れてスウェーデンに渡られている。このWebにあるエッセイ「500円玉」にあるスウェーデン国税庁視察は、鳥本さんに連れられて池田さんと同行したものである。これは日本人としては少し前に「グリーンカード」の視察を行なった国会議員についで、2組目であった。)

Jonkopingへウォルドルフ人形のふるさと&マルテル夫人を訪ねて

早川美枝子
私は5、6日 ヨンチョピングへ行ってきた。やっぱりストックホルムよりも、ヨンチョピングのような田舎の方が好きです。
向こうでお母さんが人形の話や世間話を佐々木さんとしているときは、すごく退屈だったのですが、4年ぶりにマルテル一家に会えたことは、私にとって、この旅の最大の喜びでした。
春美さん、私、イングラ、アネット、そしてイングラの友人のフリーダとの時間は、すごく充実して楽しかった。言葉は通じないのに何故か、通じているときよりも楽しいような気がしました。
6日には、偶然というか、タイミングがいいというか、青空市場をやっていて、いろいろな種類のものが売っていて、お母さんは、あっちこっちウロウロしていた。私は、結局何も買わなかったけれど、天気もよくて気持ちよかった。
お昼の中国料理のしょう油味は最高! 久しぶりにホッとした気分になれました。
帰るときは、さすがにボー然として、涙ぐんでしまったのですが、また会えることを信じて、手をふっていました。また近いうちに会えたらと思います。
PS ヨンチョピング行きのチケットを買いに行ったのは、私と春美さんです。1時間もかかってしまいましたが、すごい快挙だと思いませんか。

マルテル一家

早川加代子
回し日記が回ってこなくて、ずい分ご無沙汰してしまいました。
オランダを発ってから、スウェーデンに着いたとき、何故かホッとした。我が家に帰ってきた思いがしたものだ。
緊張した大会1日目は、写真とビデオ撮りに足が棒になった。幸先よく、京都勢は全勝という予期せぬ勝利をおさめ、交流の責任を十分果たせそうである。
2日目は、私にとってはメーンのヨンチョピング行きだった。春美、美枝子の両嬢が大奮闘で、航空券が手配でき、感激感激! 私だったら出来ていたか心配である。アーランダ空港に着いたときには、感激で身震いする思いであった。
ヨンチョピング空港で出迎えて下さった奈々子さん夫婦。特に奈々子さんには、一瞬にして、その素敵な魅力に引き込まれた。上品でセンス良く、かしこくて、思いやり一杯で、「ああ、なんてすてきな方なんだろう」 こんな方にこれから教えていただけることに幸せを感じた。
彼女の家に着いて、またおどろいた。センスのあるインテリアは、夢の中に出てくる絵の様だった。お人柄がしのばれる雰囲気のお住まいに、こういう方だから、あんな可愛い人形が作れるんだなあと感心した。
アキ子さん、奈々子さん、マーガリーター一家、マーガリータママの優しい方々に心からの歓迎を受け、感動のしっぱなしだった。
ホテルの安いのには驚いた。3人で490クローナ(1万円弱)だった。部屋も美しく、朝食もgood。11時に待ち合わせて、青空市場へー。人形作りの材料をたくさん買った。素朴な街の素朴な人たち。
佐々木さんのお姉さんが、またとってもステキな方だった。ずい分お世話になりました。
(早川加代子の生涯ライフとなったウォルドルフ人形主宰者・佐々木奈々子さんとの出会いです。ウォルドル人形との出会いは→http://www.success-simulation.com/waldorf/encounter.html

田中とみ江さんらはヘルシンキの船旅へ!

田中とみ江
7月5日、夕方6時の船でヘルシンキへ行く。自分達の気ままで、早川先生や皆さん方にご心配をかけてはいけないと思いながら、柏倉さんと出掛けました。それまで、池田先生に色々お世話頂きまして、ほんとに有難い事でした。
ヘルシンキに着いて、不安ながらもほんとうによい旅が出来ました。向こうの市電にも乗り、又外国に行くのに自信がつきました。
7日、さあ今日は試合。9時に帰るなり会場へ。皆さんなごやかに始めておられる。さっそく私も加えて頂き、今の所2勝。これからも少しでも勝てるように…。
藤田さん、依田さんもお知り合いになれて、又世間が広くなりました。長生きして、又お会いするのを約束して、次の試合にのぞみます。

日本人会との懇親会

8月9日、この日17時頃から日本人との懇親会がありました。副会長の奥村さんや鳥本さんが随分ご苦労して下さって、夫々15人の参加でもりあがりました。それにしても美しい河のほとりでの懇親会は、出発を明日にひかえて、またスウェーデンの魅力をたっぷり味わいました。

奥村芳孝(スウェーデン日本人会副会長)
RENJUを通じての交流が波のように大きくなり、こらからも長く根づくことを切望します。
Gumna Linderg Wada(連珠国際連盟の会議で通訳をして下さった方)
昨日の通訳でよく分かりました。連珠もFAIVE IN A ROWも知る人ぞ知る。
今後も国際交流にガンバッテ下さいね!

笠島洋二(ストックホルム日本人会会長)
日本の連珠が国際的に普及して、世界の親睦の役に立ち、御国の交流が広がる事は非常に喜ばしい事と思います。今後ともスウェーデンをヨーロッパ地区の中心として、ご発展される事を祈って居ります。

KAYO JONASSON
楽しく、歌って、笑って、友達が沢山増えて幸せです。また来て下さい。娘もとても楽しそうでした。

YAMADA SONO(在ス)
いらっしゃる時はいつも良い夏で本当にツイてますね。また2年後にお逢いしましょう。次回はもう少し長く滞在されますよう。

ベアトリス・ノルゴード
It was very nice to meet you.
お会いできてとても楽しかったです。またスウェーデンへぜひ来て下さい。

こうした方々に支えられて、今回の交流の旅も大成功に終わったのです。
次回は、連珠国際連盟誕生を報じる新聞報道等を一挙に取り上げる予定です。お楽しみに!

新聞報道