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「連珠を世界に!」ロマンの旅 19

日ス交換交流6年目 スンドリング四段来日 1987.10

スウェーデンとの交換交流をスタートさせて6年目。途切れることもなく、この年は当時、スウェーデン最強といわれたスンドリング四段がやってきた。

まずは、京都連珠会発行の『珠友』誌第147号から、西園典生編集長(六段)の熱いレポートを転載してみよう。

スンドリングを迎えて

スウェーデンの連珠の第1人者と言われているスンドリングが来る、という話が出てから3ヶ月がたった。9月も終わりの頃、スンドリングより10月2日の昼頃に日本に着くとの便りが舞い込んできた。
もうそれからの京都連珠会は大騒ぎ。河村典彦君の名人戦と重なったこともあって、動けるメンバーが分散してしまった。それでも何とかしようと、スウェーデン日本人会会長さんに直接確認の電話を入れてみたりしたが、到着空港が手紙ではハッキリしないので、大阪空港まで長谷川一人君が一応迎えに行ったり。
結局無事に東京に到着し、関東の連珠家としばらく歓談した後、新幹線で京都にやってきた。早川嘉美、強、光志、長谷川、そして僕の出迎えるなか、14号車の後ろからあの顔が降りてきた。

「ハロー!」「アーユーファイン?」「イエス」
ふと見ると顔が少し赤い。「だいぶ飲んだのかい?」と聞くと「オー、売り子のお姉さんがキレイだったので、つい3本ほど買ってしまった」
(ジョーク1 当然彼はビールが好きだからである)

僕の車に乗って早川宅に行こうとすると、運転席のほうへ彼がついてくる。ケゲンな顔で見ていると「オー! たまには右側で運転したくなってね」
(ジョーク2 スウェーデンでは助手席が右側なんで間違っただけ)

早川宅で昨年のスウェーデンの写真や3年前のビデオなどを見ようかとしているところへ河村君がやってきた。名人戦を来週に控えているというのに…。こんなところが河村君のいいところでもあり、強いところでもあるのだろう。
写真を見ながら「オー、妙な物が写っている。この写真は何か変だぞ」
(ジョーク3 実はスンドリングがアップで写っていた)

早川加代子さんも最近習い始めた(40の手習いとはこういうことか)実力を発揮。ペラペラ(?)と辞書を片手に悪戦苦闘。しかし、しゃべろう、伝えようと一生懸命な姿勢に感動。スンドリングも何とか解ろうとずっと彼女のほうを見続けている。やさしい人なんだなあ。

京都連珠会本部で京都リーグや王位戦の成績に興味を示し、僕らのたどたどしい説明に聞き入っていた。3階の対局室に入って7寸盤を見ると、さっそく河村七段と絵になる対局開始だ。楽番なのに長考するスンドリング。この対局はそのまま我が家へと移動。白番の河村七段が流星のスンドリングの作戦を一蹴。貫禄勝ち。

その後、僕との楽番。
ビール片手に延々3時間。検討も終わったのはなんと4時半過ぎ。さすがに眠くてそのままダウン。(局譜は省略)

10月3日
午前中は市内観光に行くつもりだったが、起きたらなんと昼前。遅い朝食のあと早川連珠道場へ。スウェーデン式ブリッツゲームで対戦。持ち時間各5分。勝者の次の持ち時間を1分減らす。5勝すれば勝ち、という過酷なルールである。珠型は3珠交替打ち。
4連勝したものの2連敗。1分じゃ何も考えられない。最後は恒星定石でなんとか勝てた。

10月4日
日ス親善京都大会。後述。

10月5日
柏原昭彦五段、河村七段と一緒に神戸見学。

10月6日
小磯重正五段宅(近江八幡市)でのミニトーナメント。持ち時間が短いためスンドリングの持ち味が出ず4位。
参加者は小磯五段、早川八段、古谷浩則四段、川合平三三段、松尾敏子二段。

夜は京都に戻ってきて川合、松尾嘉浩の両巨頭に連れられて四条方面に消えていったという。

10月7日
この日は観光のためにフリーにしていたんだが、「連珠が打ちたい」という彼の願いもあり、昼過ぎから河村、早川嘉美、早川強と対戦。持ち時間はそれぞれ2時間・90分・45分。1勝1敗1分け。(この項は次回に取り上げる予定)

左・早川 右・スンドリングさん
左・早川 右・スンドリングさん

10月8日
この日は東山老人福祉センター連珠クラブを訪問。真剣対局となった。流石に負けなかったがお年寄りの年齢を聞くたびに驚いていた。(注・平均年齢75歳)
その夜は日輪ヨシ子5級の招待で東山ユースへ。楽しいひと時を過ごさせてもらいました。

10月9日
1日中観光。勝良昌司三段も応援に来てくださってスンドリングの内面が見えてきて、楽しい1日。

10月9日
第25期名人戦第1局「河村典彦七段―中村茂名人戦」を観戦。

10月11日
午前9時発の新幹線で東京に出発。京都の皆からお土産を山のようにもらって…。
国際連珠連盟を作ってくれ。国際共通対局規定を作成してくれ。等いろんな要求をして帰っていった。スウェーデンにとっては急務なのだ。日本側の積極的な姿勢が要求されるときとなった。

第3回連珠日ス親善京都大会
京都連珠会発行『珠友』147号(1987.11.1刊)を転載してお伝えしよう。
当時はご覧のように手書きによる発行であった。

京都連珠会発行『珠友』147号  京都連珠会発行『珠友』147号