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「連珠を世界に!」ロマンの旅 38

1995年、今から16年前、私の連珠普及にかける情熱はとどまることを知らなかった、と言い切ってよいだろう。それほどほとばしるものがあった。連珠界から引退を決断した今となっては懐かしい。ただ人生における悔いはまったくない。
このコーナーはこれを機に中断することも考えたが、このところ更新していないにもかかわらず、多くの方からアクセスしていただいているのを知るとき、普及の歩みを残しておくべきであろうとも思う。

こんなこともしていたのか、という活動も採り上げながらしばらく続けていこうと思っている。今しばらくお付き合いいただくことにしよう。。

アメリカに連珠の燈
 NSKアカデミー連珠教室(金沢)

NSK(日本スタディイン金沢)に連珠が採り上げられ、アメリカ人学生35人を対象とした連珠教室が、6月28日に金沢市社教センターで催されました。
NSKはアメリカのケンブリッジ、オックスフォード、プリンストンら15の大学で、1年以上日本語を学んだ学生から選抜して、2ヵ月間金沢市に滞在して、日本文化、日本語を中心に研修する制度で3年目に入っているそうです。今後も続いていきますが、そのカリキュラムに連珠が採り上げられ、こちらも継続が前提としています。

採用された条件は、日本で250年の長きに渡って受け継がれていること、国際的活躍の場があること、追求すれば深奥なゲーム性を有すること、の3点から。
ひと通りの説明を終えて対局開始。アメリカ気質もあって賑やかそのもの。でも途中からグイグイ引きこまれていくのを象徴するように静かになっていく。

日本の"文化"ということで、先後の決め方にニギリも教え、3珠交替打ちも指導しました。学生たちは嬉々として、ニギリかつ石を交替したりして、連珠文化の楽しさをエンジョイしたようです。
詳しく話すより、写真で楽しい雰囲気を味わってください。
この企画を推進してくださったのは、町田宗鳳プリンストン大学助教授です。今後の発展を祈り、感謝いたします。(早川嘉美・記)

(1995年7月1日発行『珠友』)

アメリカに連珠の燈

連珠世界チャンピオン 奪還なる!

前回記したとおり、河村典彦新名人の誕生によって、マスコミ界に大きな話題を提供することができたが、その後も波状的に「世界選手権奪還を目指す!」意気込みを内外に広報し続けた。
このような中、世界選手権の奪還に成功したのであった。
各誌紙の報道を追ってみよう。

〔まずは選手権戦を前に開催を採り上げる各紙〕

■産経新聞「十字路」

◇五目並べのオリンピック「連珠世界選手権大会」の日本代表団が、今月27日からのエストニア大会に
  必勝体制で臨む。2年前の前回、本家の日本が敗れるハプニングがあり、王者奪回がかかっている。
◇「連珠」は、京都市在住の早川嘉美さん(51)が十数年前、旧ソ連や北欧などに日本式頭脳ゲームと
  して紹介。現在では、国内の「五目並べ」以上に「RENJU」として、35カ国に愛好者を広げている。
◇大会には今年からイスラエルなども加わり、約20カ国が参加。選手団に同行する早川さんは
  「これほどの勢いで各国が強くなるとは思わなかった…」と複雑な胸中。

産経新聞

1995.7.25

■連珠世界選手権1位を目指す
  早川さん、澤井さん本社を訪問 =毎日新聞

毎日新聞 30日から、旧ソ連のエストニアの首都・タリンで開かれる「第4回連珠世界選手権大会」に参加する連珠国際連盟副会長の早川嘉美さん(51)=東山区=と、選手団長、澤井敏郎さん(64)=城陽市=が12日、毎日新聞京都支局を訪問。健闘を誓った。
連珠は地方ごとにルールの違う五目並べを統一して競技にしたもので、世界中に愛好者がいる。参加国は毎回増え、20カ国になった。
選手団は大会副会長の早川さんのほか、昨年末名人に就いた河村典彦さん(30)=大阪府交野市=ら総勢10人。前回大会でエストニアのアンドウ・メリティ選手に奪われた1位の座の奪回を目指している。
早川さんは「連珠をもっと世界に広め、日本人のタイトル奪還を果たしたい」と話している。

1995.7.13

■ひとエコー
  連珠世界1に意欲 =京都新聞

京都新聞 「連珠は京都発祥の競技。世界でぜひ、1位の成績を収めたい」と意気込むのは、8月に開かれる第4回連珠世界選手権大会へ出場する日本選手団長の澤井敏郎さん(64)=城陽市寺田=。30歳から36歳まで団員3人のリード役だ。
「連珠は配列を競うのが魅力。名人になると、百通り考えて碁石を置く。頭を使って、幾通りも想像する。まさに、子供からお年寄りまで、広く楽しめる競技です」。ロシアやスウェーデンなど、世界で人気を集めており、同大会へ参加するのは20カ国。前回は初めて、エストニアにチャンピオンを奪われた。
自身も連珠歴48年。三条大橋で大道五目を見たのが出会いだった。「世界でよく知られているのに、日本ではあまり知られていないのが現状。世界の活躍を通して、ぜひ広めていきたい」。

1995.7.22

〔念願の世界選手権の奪還を報じる各紙のタイトルのみを紹介しよう!〕

連珠世界1を奪回 =朝日新聞 1995.8.6
河村名人がV 連珠世界選手権 =京都新聞 1995.8.6
連珠世界1を日本奪回 =中日新聞 1995.8.6
松下電工の河村名人が連珠世界選手権で優勝 =日本工業新聞 1995.8.11
連珠世界選手権 河村名人が優勝 =産経新聞 1995.8.6

世界選手権の奪還を報じる各紙

〔そして世界選手権奪還となり、次つぎと大きな報道に広がっていった…〕

まずは世界選手権戦の結果を!

世界選手権戦結果

各誌紙がこぞって報道!

■「連珠」世界の追い上げ急
  愛好者増え各国に実力者 =朝日新聞

朝日新聞

■支局長からの手紙
  されど五目並べ =毎日新聞

毎日新聞

■「重圧あったがホッと」
  連珠世界大会優勝の河村さんら 城陽市長に報告 =毎日新聞

毎日新聞

■この人
  連珠世界チャンピオンになった松下電工主任 河村典彦氏 =日本工業新聞

日本工業新聞

■人
  連珠世界選手権で優勝した 河村典彦さん =産経新聞

産経新聞

■きょうの紙面 話題の人
  「日本の名人の面目を保ててよかった」河村典彦さん =日刊工業新聞

日刊工業新聞

■「赤旗」記事がブームに一役
  日本が世界タイトルを奪回
  連珠世界戦を終えて 三森政男 =赤旗

赤旗

■この会社にこの人あり
  中学時代からの夢を実現させ連珠の世界チャンピオンに
  松下電工・快適科学研究室主任 河村典彦 =日刊ゲンダイ

日刊ゲンダイ

〔この大会の思い出〕

今の連珠界にこれほどの採り上げ方をしていただける誌紙はどれほどあるだろう。普及発展のためには必要不可欠な活動であるはずだが、まったく見えないのは残念というほかない。
それはさておき、この大会の思い出を少し振り返ってみたい。

世界選手権と平行して催されるオープントーナメント(B級戦)。私は大会副会長を務めるとともに出場していたが、最終戦を終えて7勝無敗でトップ。最終戦の相手は三森政男九段(現日本連珠社理事長)。これを追っていたのは、1敗のロシアのシニョフ八段。シニョフ八段は早々と勝ち名乗りをあげ、同星の場合のポイント計算を始めたが、どうやら逆転するらしい。
とはいえ、早川の相手は同国の選手であり、負けることは100%あり得ないと捉え、完全にあきらめていた態度であった。
当時、テクニカルドローをめぐって国内で盛んに議論が闘われていた。テクニカルドローとは、何もしないうちに(例えば、数手打っただけの状態で)引き分けを提案して、さっさと引き分けにしてしまうことである。
この試合など典型的なテクニカルドローの展開といってよいだろう。自国選手の優勝がかかっていて、自身の成績も3位入賞の目はない(3位までに入れば次回大会の予選に出場する権利が与えられる)。だれもが形ばかりの対局をして、ドローにすると思っていたのだが…。
だが、このテクニカルドローを真っ向から批判していたのが、三森ー早川であった。

そして不思議な対局になっていった。私の断然有利で進んでいた局面がにわかに険しくなり、どちらもド真剣の対局となり、両者必死の形相から、三森九段の逆転勝ち。私から勝ち星と優勝がスルリと離れていった瞬間である。

シニュフ君はまるで信じられないものを見た!という目、態度で三森さんに握手を求めていった。そして三森さんから「おめでとう」の声がかけられた。
彼らに日本のこころ、いわゆる武士道とでもいうのであろうか、これを伝えた意義は大きい。日本に心底あこがれ、憧憬の目で見続けてくれるのはこのような心、対局であろう。
私どもの世界普及は絶対にこの精神を無くしてはいけない、この一点は最重要として取り組んできた。
これが崩れていくのを見たとき、私の心は連珠から徐々に離れていった。残念であり、寂しくもある。

(この稿、2011.5.15 記)